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きのくに子どもの村通信より

堀 真一郎 (ほり しんいちろう)

1943年福井県勝山市生まれ。66年、京都大学教育学部卒業、69年、同大学大学院博士課程を中退し大阪市立大学助手。90年、同教授(教育学)。大阪市立大学学術博士。大学3回生のときにニイルの自由学校「サマーヒル・スクール」の存在を知る。「ニイル研究会」「新しい学校をつくる会」の代表をつとめ、92年4月、和歌山県橋本市に学校法人きのくに子どもの村学園を設立。94年に大阪市立大学を退職して、同学園の学園長に専念。宿題がない、テストがない、チャイムが鳴らない。週1回の全校集会を含むミーティングは子どもが議長。ニイルとデューイを実践において統合した教育を方針とするため自由学校を創設した。

【Vol.22】学校づくりのこぼれ話(3)学校用地の取得と造成

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きのくに子どもの村通信より  学校づくりのこぼれ話(2)休校施設払い下げ交渉

学校法人きのくに子どもの村学園
かつやま子どもの村小・中学校
かつやま子どもの村小・中学校の教育目標は「自由な子ども」です。生き生きとし、好奇心旺盛で、集団生活に必要なマナーを身につけている子どもです。

〒911-0003 福井県勝山市北谷町河合5-3
TEL 0779-83-1550 FAX 0779-83-1833
http://www.kinokuni.ac.jp/katsuyama/

ウナギ上りの不動産価格
 学校の設立準備を進めていた頃(1990年)橋本市内でこんな話を聞いた。

 市の北部の新興住宅地で新築の住宅が分譲された。土地30坪、床面積は25坪だ。価格はなんと7千2百万円という。ひどい値段だ。それがすぐに転売され8千五百万円になった。さらに2週間後には1億円を越したという。その頃の不動産価格は天井知らずで、多くの人が濡れ手で粟のもうけをねらって、土地や住宅を買いあさった。10人くらいで組んで抽選の行列に並んだらしい。不動産関係者だけではないらしい。普通のサラリーマンや農家の人もブームに踊らされたのだ。

用地取得交渉も難航
 やがていわゆるバブルがはじけると、せっかく手に入れた物件の値は急落した。銀行からの借り入れ金の金利も払えなくて手放した人が少なくない。借金だけが残ったのだ。破産状態に陥った人もある。

 二度にわたって彦谷小学校の譲渡交渉が暗礁に乗り上げた後、新しい学校をつくる会は、方向を転換して、自前の土地と建物で開校をめざす道を選んだ。そしてその用地は、まさに土地バブルの真っ只中に取得されたのだ。現在の小中高と運動場にまたがる農地と山林である。面積は斜面も含めておよそ5800?(1800坪弱)で、払ったのは2千万円だ。つぼ単価が1万1千円くらいになる。

 これは当時の都会の人の感覚では安いが、地元のそれまでの値段にくらべるとかなり高い。むろん私たちには相当の負担であった。つくる会の蓄え大半がつかわれた。なにしろ土地の値段がもっと上がると思われていた頃だ。隣の村に住む地主さんたちも、学校設立の趣旨には大賛成だが、だからといって、そう簡単には手放すわけにはいかない。
家族や親戚縁者からの反対もあっただろう。何度も足を運んで、ようやくウンといってもらうまでに何ヶ月もかかった。話がまとまったのは90年1月の末である。

立ちはだかる法的規制
 土地バブルの対策に政府が重い腰を上げ、その年の3月1日から国土法が改正され、300?以上の土地の売買には事前に価格の届出が必要になった。たいそう面倒な手続きが必要になったのだ。

 もっと難しいのは農業振興指定地域の問題だ。略して「農振」という。山間部など指定を受けた特定地域の農地では税制面の優遇措置がある。しかしその売買には指定の解除が不可欠だ。都道府県の農業委員会へ申請して、許可が出るのに半年はかかるという。さらに橋本市の農業委員会で通常の農地転用の審査が続くから、少なくても10ヶ月は覚悟が必要だ。

 規制はまだある。「官民境界の明示」だ。学園のそばの道は細いけれど市道である。買い取る農地と道路と境界が決まっていなかった。改めて正式の測量をしたうえ、周辺の地主全員の立ち会いのもとに橋本市との話し合いで決める。これにも意外にお金と時間がかかる。

規制のクリヤーなんとかOK
 どれもこれも私たちには大変な難題である。ところが、どういうわけか幸運が続いたのだ。まず土地売買価格の届出の件だが、規制は3月1日に始まる。それまでに契約が成立していれば免除されるという。契約は1月末だったから間一髪で難を逃れた。

 次は「農振」の指定解除。和歌山の県庁に現地の事情と学校開設計画について説明すると、当該の田んぼは過去十数年間まったく耕作されていないから、まことに異例ではあるが、手続き無しで解除しましょうという。ありがたかった(皆さん、行政は意地悪とは限らないのです 特に和歌山県では、、、、)。

 土地の測量には思いのほか費用がかかったけれど、官民境界明示も無事終わり、市の農業委員会から農地転用の許可が出たのは90年の4月下旬だ。開校を待っている子が多い。急いで造成にかかろう。

一匹オオカミの土建屋さん
 用地の造成といっても、平地とは場合が違う。グランド用地の山を削って、数メートル下の田んぼを埋めるのだ。大量の土砂の移動が必要になる。そのうえ沼田である。土地の人のいう「ふけ田」だ。土がやわらかい。かつては腰までつかって田植えをしたそうだ。だから排水工事も必要だ。真ん中に大きな溝を掘り、ぐり石を敷いてその上にヒューム管という穴のあいた土管を通した。次は盛り土をした部分、つまり今の小学校と食堂のあたりの擁壁の工事だが、公共工事のような本格的なことはとてもできない。検査にとおる最低限度の工事ですます。

 請け負ってくれたのは橋本市内の中谷勇さん(故人)。酒とおしゃべりの好きな人で、毎朝6時過ぎに村へ上がってきて、夕方遅くまでブルドーザーで削り、ダンプカーに乗せて埋め立てる日が続いた。土管その他の材料の買い付けまで、すべて一人でこなすのだ。掘削、埋め立て、排水工事、擁壁工事など約半年かかった。費用はおよそ1千百万円だ。あとで保護者で土木工事に詳しい北島登さんに聞いてみた。

 「この程度の工事だと普通の業者なら幾らかかりますかね。」

 北島さんの答え。

 「4千万はくだらんでしょう。」

 

- きのくに子どもの村通信より - 2009年6月発刊 Vol.22

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