累計122万件出荷!自然食品・自然療法・エコロジー・らくなちゅらる提案サイト

きのくに子どもの村通信より

堀 真一郎 (ほり しんいちろう)

1943年福井県勝山市生まれ。66年、京都大学教育学部卒業、69年、同大学大学院博士課程を中退し大阪市立大学助手。90年、同教授(教育学)。大阪市立大学学術博士。大学3回生のときにニイルの自由学校「サマーヒル・スクール」の存在を知る。「ニイル研究会」「新しい学校をつくる会」の代表をつとめ、92年4月、和歌山県橋本市に学校法人きのくに子どもの村学園を設立。94年に大阪市立大学を退職して、同学園の学園長に専念。宿題がない、テストがない、チャイムが鳴らない。週1回の全校集会を含むミーティングは子どもが議長。ニイルとデューイを実践において統合した教育を方針とするため自由学校を創設した。

【Vol.28】学校づくりのこぼれ話(9)教師の条件

投稿日:

きのくに子どもの村通信より  学校づくりのこぼれ話(9)教師の条件

学校法人きのくに子どもの村学園
かつやま子どもの村小・中学校
かつやま子どもの村小・中学校の教育目標は「自由な子ども」です。生き生きとし、好奇心旺盛で、集団生活に必要なマナーを身につけている子どもです。

〒911-0003 福井県勝山市北谷町河合5-3
TEL 0779-83-1550 FAX 0779-83-1833
http://www.kinokuni.ac.jp/katsuyama/


白鳥蘆花に入る
 下村湖人の『次郎物語』の中の言葉である。真っ白なアシの原に一羽の白鳥が舞い降りる。白鳥の姿はやがて目立たなくなる。しかし白鳥の降りた付近のアシが波打っている。 このひとことで作者は、よい学校のよい教師の姿を語っている。よい学校では、子どもたちが自発的に動いている。教師は目立たない。よく見ないと姿が見えない。声もほとんど聞こえない。

 きのくにでは、見学客や取材の人からよく「先生はどこ?」とか「見分けがつかない」とかいわれる。たしかに「オレは教師だ。ついて来い。」と叫ぶタイプの教師はいない。

活動が子どもを誘う
 教師が大声で子どもを動かさなくても、子どもが自ら動く。日本保育学会の初代会長の倉橋惣三は、こういう保育を誘導保育と名付けた。誘導尋問のように上手にだましてなにかさせるのとは違う。

 誘導保育とは、教師によって準備された活動や環境が子どもの心を捉え、子どもを夢中にさせる保育である。大切なのは教師の権威ではない。巧妙な話術でもない。もちろん賞や罰などの外的な力ではない。誘導保育は、別の言葉でいえば間接的指導である。デューイは次のようにいっている。

 「子どもを指導するのは教師ではない。活動そのものだ。」

子どもに迎合する教師
 子どもを無理に引っぱってはいけない。大声を出すのは下手な教師だ。それはわかっていても、子どもが動いてくれない。そういう時に教師がはまりやすい落とし穴がある。子どもの機嫌をとることだ。

 かつてある自由学校で、小さい子に人気のある男性教師がいた。しかし彼の人気の秘密はアメとビスケットだった。彼の部屋へ行くとご馳走が出るのだ。しかし怒鳴る教師と同様、甘い教師も子どもから内心ではバカにされている。この教師もまもなく自己嫌悪におちいって学園を去っていった。

外的権威にたよる教師
 ニイルは、教員の採用の際にこう尋ねたそうだ。

 「君は子どもからバカと呼ばれたらどう感じるかね。」

 生意気な口をきく子にムカッとしていては、サマーヒルの教師はつとまらない。子どもの機嫌をとる人も、権威にたよる者も、どちらも自由学校のダメ教師である。

 権威とは何か。辞書には「人を従わせる力」とある。問題は何によって従わせるかだ。教師という地位によって子どもを動かそうとするか。それとも子どもの心を引きつける活動によって子どもが動くのか。

 前者は、教師その人の外によりどころを置く。エーリッヒ・フロムのいう外的権威だ。このタイプの権威者は、権威の保持のためにさまざまな形式や儀式を編み出す。身なりをととのえ、「先生」と呼ばれ、先生ことばをつかい、試験で脅し、声を荒げ、厳粛な式を大事にする。それほど強くなれない者は、アメとビスケットで子どもの機嫌をとる。まじめで熱心であっても、どちらも子どもからは好かれない不幸な教師だ。

幸福な教師はよく笑う
 「最もよい教師は子どもと共によく笑う。最もよくない教師は子どもを笑う。」

 ニイルのことばである。外的権威にたよらない教師は、子どもと活動を共にし、自分の知識と経験と工夫が、子どもの成長に一役かうという大きな喜びを味わう。子どもが笑う。大人も笑う。これがよい学校のしるしだ。

子どもとともに笑うために

子ども好きでは不十分
 子どもと共に笑う教師は子どもが大好きだ。しかし子ども好きにも二種類ある。権威主義の子ども好きは、ペットをかわいがるように子どもに接する。自己中心的だ。子どもと共に笑う子ども好きは、謙虚に子どもと共に歩む。そして子どもと共に成長する自分が好きだ。

 子どもと共に成長する教師は固定観念や固い理想にとらわれない。学校や教育にまつわる数々の常識からも自由だ。心がやわらかい。と同時に自分の内面についても気付いていて、しかもその自分を肯定している。つまり心理的に解放されている。

教師に自由とゆとりを
 子どもと共に成長する教師は、技術を磨かなくてはならない。実践を振り返ったり、本を読んだり、研修に出たりしなくてはいけない。それには時間のゆとりが必要だ。魅力的な活動の準備と、そのための研究には、時間とある程度の経済的裏づけが要るのだ。

 近年は何かに付けて学校教師への風当たりがきつい。保守派の学者やにわか教育評論家が、現場の実情も知らずに教師を無能呼ばわりする。教員の評価だの、教員免許の更新だの、とやかましい。しかしこういう管理強化策は、学校からますます笑いを失わせるだけだ。学校を活性化するには、教師に、何をどのように教えるかの自由、そして時間とお金のゆとりを認めるのが一番なのだ。

よい教師は集まる
 ところで学園に見える見学者がよく「子どもが元気だが、先生も生き生きとしている。」という。「どのようにして集めたのですか」と尋ねる人も少なくない。私の答えはこうだ。

 「子どもと大人が共に笑う学校には、集めなくても素敵な先生が自然に集まるのです。」

- きのくに子どもの村通信より - 2009年12月発刊 Vol.28

今月の記事

びんちょうたんコム

累計122万件出荷!自然食品、健康食品、スキンケア、エコロジー雑貨、健康雑貨などのほんもの商品を取りそろえております。

びんちょうたんコム 通販サイトへ