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農業ルネッサンス元年

川平 俊男 (かびら としお)

1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。

【Vol.85】自立は楽しい ! ! ④

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 「照屋さんが話した事は本当だったんですね」。ある日、市役所福祉担当職員が訪問先で出合った時、話しかけてきた。「実は今日は朝・昼・晩三回来ました。○○さんがヤセてきた事が心配でした。私は長年、○○さんを担当してきて、この変化は初めてです。変化は体がスッキリして来ただけではありません。長年、統合失調症を患い、まわりとの交流も途絶え、身の回りの事にも無関心になり、無表情でいつもボーッとしている事が普通でした。照屋さんの訪問介護、食事づくりが始まる前は、食事は朝、昼、晩コンビニ弁当でした。食べる量は多いが、体を動かさないので不健康な太り方をしていました。それで○○さんの最近の変化は不思議でした。もしかすると何らかの病気のせいかも知れないとの心配もありました。それで毎食後、食事の確認に来た訳です」。照屋さんは「前から言っているでしょう。私はコンビニ弁当から野菜中心の食事に切り替えた結果だと思います」。
 照屋さんは冷蔵庫を開け、その職員に見せた。その中には各種の野菜が一食分ずつ用意されていた。照屋さんが説明した。「このように食事の内容は野菜が中心です。それにトーフや卵やポークで変化をつけます。野菜はみそ汁の具、油いため、酢もの、あえもの、サラダに活用しています。認知症が進行している方や食欲をなくしている方でも野菜調理にちょっとした工夫をするだけで、どんどん食べます。野菜料理は食べる量も多く、主食は米ではなく野菜になっています」。職員は「非常に健康的な食事内容ですね。○○さんの変化も納得できました。野菜のチカラはすごいですね。しかし、これだけの野菜の購入費はたいへんでしょう」と年金ぐらしの高齢者や障害者の生活を心配して照屋さんに尋ねた。照屋さんは「心配されるのはもっともです。スーパーなどで買っていてはこのような野菜中心の食事は作れません。この野菜はすべて川平さん達の生産者グループに無料で提供してもらっています。私たちの事業所の訪問先では野菜をスーパーなどで買った事がありません」と前号で紹介した内容も含めて職員に説明した。

 「こんなスゴイ事が現実に日常的に続けられているのか」と驚く職員に更に詳しく、いつの時期にどれぐらいの野菜を提供してもらったのか、それにより高齢者や障害者の方々がどのように変わったのかを話した。
 「野菜不足でデンプン質過剰の食事は高齢者や障害者の健康を損ね、様々な弊害が心身共に表れます。便秘、食欲減退、肌荒れ、噛む力が弱くなってますます噛まなくなるため脳の働きが鈍くなり、認知症の進行が速くなる、まわりに対する関心が弱くなり行動意欲も弱くなる……などもっとたくさんあります。だんだん病院へ通う回数も増え、また体の不調に対する薬の量も増えます。野菜不足はこのように便秘から始まる体の不調と食欲意欲の減退と薬の増大の悪循環を引き起こします。この現実に対し、私たち介護ヘルパーはどうする事もできませんでした。介護の必要な高齢者や障害者の避けられない運命なのかと諦めていました。私たちヘルパーに出来る事はただ食事を作ったり、身の回りの世話をする事だけなのかと悲しく暗い気持になり、訪問の際も口数も少なくなり、淡々と仕事をこなす毎日が続きました。ある日、訪問先の家族に何気なしにこの話をしました。その人が現在、野菜ボランティアを続けている川平俊男さんです。彼の呼びかけで野菜が大量に提供されてきました。今では生産農家も野菜の種類も量も増え続けています。高齢者も障害者も野菜中心の食事を続ける事で心身共に大きな変化が生まれ、しかもそれは毎日毎日起きています。最大の変化は便秘がまず最初に治り、次に心身が健康に向かって日々急変を始める事です。日々の訪問が楽しくなりました。訪問の際、野菜の事で話題は尽きず、どこへ行っても時間オーバーです。現在の農業はカネをつくるための仕事になっています。しかし、高齢者の方々から聞く野菜づくりの事やその食べ方の話はまさに農業がいのちをつくる仕事だった頃までの先祖代々伝えられてきた知恵であり、高齢者の方々がいなくなればその貴重な財産も消えてしまうと思います」

川平 俊男
1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。

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- 農業ルネッサンス元年 - 2014年10月発刊 Vol.85

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