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オディの農業日記

羽鹿 秀仁 (はじかひでひと)

サラリーマン、経営コンサルタント、青年海外協力隊の隊員として中米のニカラグア、パナマで5年間活動後、ネットワーク『地球村』というNPO団体のスタッフとしてアフガニスタン支援に3年関わり、2006年から三重県名張市赤目で農薬を使わない農業を始める。

【Vol.32】オディの農業日記 第25回

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【おばあちゃんが亡くなりました】
 3月9日におばあちゃんが亡くなりました。

 102歳の大往生、いつかこんな日が来ると思っていましたが、父から電話で知らされたとき、ショックで涙が止まりませんでした。

 私の実家は豆腐屋をしており、私たち兄弟が小さい頃、両親はお店の切り盛りで忙しく、夏休みや春休みなど、長期の休みは香川にあるおばあちゃんの家に預けられて、面倒を見てもらいました。

 その頃、おばあちゃんは60を過ぎたくらいだったでしょうか?忙しい畑仕事の合間に私たちを虫取りや海水浴など子供が喜びそうな遊びに連れて行ってくれました。とってもやさしいおばあちゃんで一度も怒られた記憶がありません。そんなおばあちゃんが大好きでした。お盆の休みに両親が里帰りしてきて、私たちも一緒に大阪に戻るのですが、おばあちゃんと離れるのがつらくて、帰りのバスの中で泣き叫んでいたのを思い出します。

 でも小学校を卒業するぐらいから田舎へ帰ることがだんだん少なくなり、大人になってからは忙しさを口実に数年に一度しか帰らなくなりました。

 大人になってからのおばあちゃんとの一番の思い出は、2000年に里帰りして、おばあちゃんと二人でおじいちゃんのお墓参りをしたことです。おばあちゃんはもう90歳を過ぎていましたが、乳母車を押しながら子供の頃よく通った道を通ってお墓に連れて行ってくれました。道すがらあまり話もしませんでしたが、すっかり小さくなってしまったおばあちゃんを見て涙がこぼれそうになって、それをごまかすのに苦労したのを思い出します。思い出の一杯ある道を歩いていると、それらが次から次へとよみがえってきて、あっという間に時間が過ぎていきました。とても心温かく、幸せな時間でした。あの日のことは私にとってかけがえのない思い出です。そしておばあちゃんとの日々が今の私の考えや生き方を支えてくれていると思います。

 去年、嫁さんを連れて会いに行ったのが最後のおばあちゃん孝行になりました。もっともっと喜ばせてあげたかったのですが、もうそれもかないません。

 お葬式は親戚一同が集まりました。いとこだけでも13名。その配偶者や子供たちを数えていくと数十名になります。おばあちゃんがいてくれたおかげで私を含めてたくさんの生命が生まれ、たくさんの人がつながり、新しい人生が始まっています。そのことに想いをはせると心底から感謝の気持ちが湧いてきました。

 おばあちゃん、ありがとう。きっとおばあちゃんからもらったたくさんの愛をみんなに伝えていくからね。

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- オディの農業日記 - 2010年4月発刊 Vol.32

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