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きのくに子どもの村通信より

堀 真一郎 (ほり しんいちろう)

1943年福井県勝山市生まれ。66年、京都大学教育学部卒業、69年、同大学大学院博士課程を中退し大阪市立大学助手。90年、同教授(教育学)。大阪市立大学学術博士。大学3回生のときにニイルの自由学校「サマーヒル・スクール」の存在を知る。「ニイル研究会」「新しい学校をつくる会」の代表をつとめ、92年4月、和歌山県橋本市に学校法人きのくに子どもの村学園を設立。94年に大阪市立大学を退職して、同学園の学園長に専念。宿題がない、テストがない、チャイムが鳴らない。週1回の全校集会を含むミーティングは子どもが議長。ニイルとデューイを実践において統合した教育を方針とするため自由学校を創設した。

【Vol.8】教育学史の巨星たち(1)

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きのくに子どもの村通信より 
教育学史の巨星たち(1)

学校法人きのくに子どもの村学園
かつやま子どもの村小・中学校
かつやま子どもの村小・中学校の教育目標は「自由な子ども」です。生き生きとし、好奇心旺盛で、集団生活に必要なマナーを身につけている子どもです。

〒911-0003 福井県勝山市北谷町河合5-3
TEL 0779-83-1550 FAX 0779-83-1833
http://www.kinokuni.ac.jp/katsuyama/

14ki_08_2.jpg近代教育学の天才 ジャン・ジャック・ルソー
Jean-Jacques Rousseau 1712-1778
近代教育学の天才自由教育も総合学習もここから始まった。

 ジャン・ジャック・ルソー。フランス革命の火付け人といわれ、波瀾万丈の生涯を送ったこの啓蒙思想家は、恋愛小説を書き、オペラも作曲した多彩な天才である。そして教育論『エミール』は、教育学の歴史にさん然と輝く古典中の古典なのだ。自分自身は、5人の子どもを一人残らず孤児院の門前に捨てたではないか。こういって避難する人もあるけれど、子どもを大事にする基本的な教育の考え方のほとんどは、ルソーにその源を発しているのだ。

●子どもへの信頼
 万物を作るものの手を離れる時、すべては善きものであるが、人間の手にわたると、すべてが悪くなる。

 『エミール』の冒頭の一節である。教育にたずさわる者なら知らぬ者はないはずだ。伝統的なキリスト教の性悪論の子ども観に、敢然と、そして鮮明に反旗をひるがえすのは、今日では想像もできない勇気を要する危険な行為であった。

 子どもの本性は善か、それとも悪か。この問いへの答えは、単純化すれば四つに分かれる。性善説、性悪説、白紙説、併存説だ。性悪説では、子どもは常に監視され、矯正されねばならない。白紙説は、ジョン・ロックの考え方である。教育は、何も書かれていない白紙に、絵や文を書き込む仕事だという。精神分析の創始者フロイトは「併存説」だ。人間には「生の本能」と「死の本能」があるから、自我を訓練し強化して、本能をコントロールすべしと説く。

 性善説は、子どもの本能を信頼する。しかし放っておけば大丈夫と、やみくもに信じるのではない。私たちは、楽しいことを増やし、いやなことを減らす術を習得して、みんなの幸福を増進する力を秘めている。わがままを通せば、かえって不幸になる。ルソーは、これを社会契約と呼んだ。だからこそサマーヒルでも、きのくにでも、共同生活と自治が大切にされるのである。

●消極教育
 何事も(子どもが)自分で発見したから知っている、というのでなければならない。

 子どもの本性の内からの発達を信頼する教師は、直接的で高圧的な指導はしない。まず、その発達を阻害する要因を慎重に取り除く。子どもの失敗や間違いを叱ったりもしない。経験を通して学ぶのを援助する。

 しかし、消極教育(negative education)は、何もしない教育や手を抜く教育ではない。実際はこういう教師の方が、直接的に教え込む教師よりも準備に忙しく、細かい配慮を要求される。自由な学校の大人たちは、きちんとわきまえねばならない。子どもの自由と教師の忙しさは比例するのだ。

 ルソーの思想は「自然にかえれ」ということばで要約されることが多い(自分でそういったのではないらしい)。彼の育てようとしたのは、生まれたままの自然人ではなく、社会の中で幸福に生きる自然人である。
そのための間接的な援助が教育なのだ。

●発達段階
 自然は、子どもが大人になるまでは、子どもであることを望んでいる。
ルソーは啓蒙思想家である。彼にとって、教育の最終目標は理性の発達だ。しかし彼は、それを急いではならないと強調する。今日のことばでいえば、発達段階を考慮して、ゆっくりと成長させようとする。「時間の得」を焦らず、むしろ「時間の損」を心がけよ、という。今日のやかましい学力低下論者に聞かせたいことばだ。小さな鉢に植えた植物は、早く花を咲かせる。しかしその花は、小さくて貧相だ。じっくり土づくりをして、時間をかけて育てれば大きく立派な花を咲かせるのに。

 教育における土づくりとは何か。ルソーによれば、まず強い体、次に繊細な感覚が大事だ。この時代はとても長い。本格的な学習はその次にくる。せっかちに理性によって理性の発達を促すのは、「物事の終わりから物事を始めようとする」愚かな間違いである。

● 総合学習
 彼(エミール)は、農夫のようにはたらき、哲学者のように考えなければならない。

 西欧でも日本でも、かつて学校は支配階級や富裕階級のものであった。百姓に学問はいらぬ。我が国でも、つい数十年前までは、そういってはばからぬ人が、当の農民にさえ多かったのだ。

 支配者と被支配者の関係は、頭脳と肉体の関係でもあった。肉体は卑しいものであり、理性によってコントロールされねばならないというわけだ。教育において、肉体や運動能力や感覚は軽視され蔑視され続けた。教育と職業訓練は、別のものと考えられたわけだ。

 しかしルソーは、彼の教育論の主人公であるエミールの理想の職業として、農業と鍛冶屋と大工を選ぶ。これらの職業は、手先の技術だけではなく、知恵をはたらかせ、みずから創造的に考えることを求めるからだ。現代風にいえば、全面的な発達を要求し、しかも、それを促すからである。

 実際的な仕事や生活の中で、身体能力も、感性も、知性も、社会的成熟も総合的に育てようという発想は、ペスタロッチやデューイなど、その後の多くの教育家に影響を与えた。キルクハニティのジョン・エッケンヘッドもその一人だ。ルソーは、正しい意味での総合学習、つまり各側面の発達を分離しないで、密接に関連付けて促そうとする教育のさきがけなのだ。

 子どもの本性や自発性を尊重し、発達段階を大切にして、総合的な成長をと考える人は、現代ではめずしくない。しかし、それを250年前に高らかに宣言したルソーこそは、紛れもなく、教育思想の歴史における天才中の天才である。

【参考文献】
1・『エミール』(今野一雄訳、岩波文庫、1962年)
2・桑原武夫編『ルソー研究』(岩波書店、1951年)
3・桑原武夫編『ルソー』(岩波新書)

- きのくに子どもの村通信より - 2008年4月発刊 Vol.8

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