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特集

インタビュー取材しました。

【Vol.95】仏画で観じる、心の対話 御嶽山で感じる「共感」

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六回目の開催となる仏画セミナーはこの回で一区切り。最終回のテーマは「飛天」。ですがこの回は、安井先生が前日に訪れた御嶽山のお話から、仏教における「共感」についてのお話を伺いました。

 昨日、縁があって御嶽山に行ってきました。どこも災害はそういうものなんだけども、テレビの報道と実際行ってみると、違うんですね。皆さん爆発の映像をテレビでご覧になったと思うんですけども、灰はほとんど飛んでいない。野菜の上に灰が積もったとかいうのは、その写真を撮れるところを探すのに苦労したらしいです。 御嶽山は行者さんの山で、明治の頃にかなり流行ったそうです。死んだら御嶽山の大権現に仕えるといって、霊神碑という石碑が権現様ごとにまつってあって、独特の雰囲気があります。御嶽山はいわば神なる山で、四国八十八カ所と同じように廻って死と再生を表しています。頂上に御嶽神社があって、下りてくると、魔利支天や、一の池、二の池……とあって、乗鞍に下がっていく。そこから賽の河原というところがあって、ここがなかなかの難所で、霧が発生しやすい。恐山みたいに石が積んであって、何ともいえない風景です。頂上はひどいことになっているんですが、そういうところは何ともないんですね。

 御嶽山の地域というのは観光しかなくて、それが噴火後に入山禁止になって、行き詰まっています。高齢化で人口も少なくて。人というのはそれなりのエネルギーを持ってますから、人がいないということは活性化されない。 噴火後に捜索のために熱さに耐える大きな戦車が2台来たらしいんですよ。その戦車が通った後の道路というのが全部沈んでしまって、この修理を誰がやるかと。県立公園になっているから国ではやってくれない。県というと、長野県は災害が多くて御嶽山だけに構っていられない。支援はない、募金なんかもないわけです。自然災害なんだけど、規模が限られていて、中途半端な状態です。 捜索隊は、自衛隊は自分たちでテントを作って全部賄うし、レスキュー隊も別にキャンプをしていて、警察は夜になると帰る。よく知らなかったのですが、彼らは夜だけ温かいものを食べて、朝と昼は基本的に冷たいものしか食べないそうです。それで村人たちが捜索の間、炊き出しをしていたんです。そういうことは報道されないのに、村人たちが山に向かって手を合わせたところを写真に撮られて新聞に載って、遺族の方たちの怒りを買ったということがあったそうです。村人たちは、魂が鎮まるようにという気持ちだったのに、煽るようなことを書かれて、よく山を拝めたものだと。それで村人たちもどうしていいか分からなくなるし、心も痛むし……人の気持ちというのは難しいですよね。 また他の山が噴火すると、御嶽山のときはこうだったと映るでしょ。そうすると私たちは、現地を知らないと、まだひどいままなのかなという感覚に陥ってしまう。でも全然そうじゃない。あのあたりは一度地震があって被害が出たんだけど、村人たち総出でボランティアで復興にあたって、やっとこれから何とかっていうときに噴火が起きてしまった。支援もないし、誰も来てくれない。 サンスクリット語に「アヌカンパー」という言葉があります。私の好きな言葉です。「アヌ」は「何かに従って」という意味、「カンパー」は「震える」という意味です。要するに、何かに従って、何かと共に震えるということなんです。何かに従って、何かと共に「自分の心が震える」ということ。これは仏教でとても大事な言葉で、要するに「慈悲」ということになります。慈悲というのは相手に共感することであって、決して高い立場からから愛を与えるということではない。相手に共感することなんですね。この働きを端的に表している言葉が「布施」ということなんです。行為をしなければ布施ということになりません。相手に共感すること自体が布施の行為になるんです。考えるより感じる。その場に行って感じて、その場を見て自分の心が震える。そういうことが大事。自分の心が震えて、その刺激によって自分の脳もぶるぶると震えて、それがひとつの形になってくる。共感するっていうことはとてもとても大事なことなんです。 今の時代は、自分のことで精一杯、下手に関与しない、したくないっていう人が多くいます。時代の過渡期で、私たちの精神作用がそれについて行けなくて、どうしていいのか分からない。あきらかにおかしいこと、いけないことをいけないといえない。それがおかしいと思う。共感するということが本当にできない。だから、いつ行こう、行って何をしよう、今は忙しくて……というのでなく、いてもたってもいられないから行くっていうぐらいに共感していかないと、私たちの心も鈍くなってしまっている。 御嶽山で、現地の方に、私に何ができますかと訊くと、とにかく現状をしゃべってくださいと。見に来てくださいと。結果はどうであれ、行ってきて行為をすること自体が、良いと思うんです。共感することだし、共鳴すること。 仏画というのは、自己探求。自分を見つめ直す時間ですから。忙しすぎるのもよくないです。忙しいというのは周りを振り回します。その人といると何だか分からないけどせわしない。顔は見てるんだけど頭は他のことを考えている人って、話していて分かりますよね。一日5分でも10分でも自分の時間をとるようにしてもらえたら良いと思います。

第六回のテーマ「飛天」について

飛天というのは仏画につきものです。飛天は蓮の花から生まれ、蓮の花を手にして散華の状態で降り注ぐ、とてもめでたいものです。お寺さんの散華というのは、その場を浄化するというような意味合いがあります。だから飛天というのは、天部なんですけども、そういう力を持っています。

文:らくなちゅらる通信編集部

講師:安井 妙洋(やすい みょうよう)
仏画師。1984 年より真鍋俊照氏に仏画の基礎・理論を学ぶ。東北大震災後は東北の人々に仏画を描く援助を始める。
仏画教室での活動とともに、北インド・ラダック地域の支援活動も精力的に行っている。

- 特集 - 2015年8月発刊 Vol.95

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