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特集

インタビュー取材しました。

【Vol.98】オーガニックコットン × 東北支援プロジェクト

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オーガニックコットンのパイオニアであるアバンティが取り組む、3・11大震災の被災地の女性を応援するプロジェクトを取材しました。この冬に向けて、一人でも多くの方に知っていただきたい取り組みです。

3.11 震災で変わったことと、5年近い月日が経つ中でも変わらないこと。
宮城県石巻市で被災した2人の女性にお話を伺いました。
日常の中で忘れそうになることを、今一度、思い出し、考えてみてください。

東北グランマの仕事づくり

東北グランマのプロジェクトは、3・11大震災直後の6月、被災地の女性に仕事を作るために、株式会社アバンティによりスタートしました。初年度は、オーガニックコットンの残布を利用したクリスマスオーナメントづくりを行い、2万5000個を完売しました。その後、比叡山戒光院で祈願を受けたお守りを作ったり、他の企業や著名人と協力してオリジナルの製品を作ったり、震災から4年が経過する中で、一時的な支援ではなく、継続的な活動の幅を広げています。はじめは3カ所から始まったプロジェクトも、現在では8カ所になりました。被災地で手仕事を請け負っている女性たちをグランマと呼び、それぞれの得意分野を活かした製品作りがなされています。

支援ではない、プロの仕事

今回アバンティさんの紹介でお話を伺ったのは、宮城県石巻市北上町十三浜のにっこりサンパークチームのグランマ、千葉みよ子さんと佐藤たね子さんです。お二人を含め現在は五人のメンバーで活動しています。 アバンティさんとの出会いは、2012年の2月。最初はステンシルの依頼だったそうですが、話をする中で、実は千葉さんが編み物が得意だということが分かりました。千葉さんは震災前から編み物好きで、かなりの腕前。リーダー的存在として、他のメンバーを引っ張っています。佐藤さんと千葉さんは、震災後、仮設住宅で知り合いました。佐藤さんにとって編み物の仕事ははじめての経験でした。他のメンバーも、かぎ針くらいはやったことはあるけれど棒針ははじめてといった感じのスタートでしたが、経験を重ね、技術を上げ、今では非常に高い品質の製品を生み出しています。ソチ五輪のときに選手が身につけたニット帽なども担当されたそうです。

アバンティの渡邊社長いわく、千葉さんたちのすごいのは、そのプロ意識だそうです。お金をもらう以上、ただ趣味で作っているのとは違う。その意識が、品質に表れます。たとえば以前、ある衣料品メーカーからニット帽の製作依頼があった際に、千葉さんは大きさ、模様、使い心地などを考えながら3つ試作を行い、メーカーの依頼したデザインに改良の提案をしたことがあり、最終的にその案が採用されたそうです。 ただ支援というだけでは、一時的には良くても遠からず忘れられてしまう。プロがデザインし、作り方を指導し、目標を定める。作り手もそれに応える意識と技術を持つ。それが、継続的に選ばれる製品につながると、渡邊社長はいいます。

震災で、何が起きたのか

石巻は、宮城県の中でも津波による多くの被害を出した市です。さらに石巻市も、合併したいくつかの旧市町村から成っています。3・11当時、石巻市は旧石巻市にあたる中心地域の対応だけで精一杯で、周辺地域に対してはなかなか支援が行き届かなかったそうです。にっこりサンパークチームがある北上町十三浜に関していえば、十三浜はその名の通り13 の浜がある地域でしたが、残ったのはひとつの浜だけでした。しかも、庁舎まで津波で流されてしまい、職員の方も多く亡くなりました。千葉さんや佐藤さんは、震災の夜、役場の人間が誰も来ないことを不審に思いながら過ごし、翌朝その状況を知りました。 震災の夜、佐藤さんはトンネルの中で、ブルーシートとたき火で寒さをしのぎながら過ごしたそうです。その夜は大粒の雪が降っていました。自分はまだ雪を防げるところで過ごせたから良かった、と佐藤さんはいいます。翌朝、たき火の煤でみんな顔が真っ黒になっていたと、笑って話してくださる佐藤さんですが、ご主人もお姑さんも津波で亡くなり、今は一人で暮らしています。今でも、亡くなったご家族が夢に現れて、眠れない夜を過ごすことも少なくないそうです。 千葉さんは人的被害はなかったものの、津波で何もかも流されてしまったそうです。けれども、親しい人を亡くした人がたくさんいるのだから、うかつに話もできない。そんな状況が続く中で、震災前から好きだった編み物のことを思い出し、一緒に避難していた2~3人と編み物をはじめ、仮設住宅で佐藤さんに出会い、仲間に誘いました。

あたたかさを、感じる

当時の話の中で、お二人が何度も口にしたのが、「ありがたい」という言葉です。 震災後1~2週間は、自由に顔も洗えない、歯も磨けない、もちろんお風呂には入れない、そんな状況が続いたそうです。けれども半月ほど経った頃、地元の山奥に湧水を利用した入浴施設があり、自衛隊の協力で集落ごとに連れていってもらえるようになりました。まだまだ寒さの厳しい東北の3月です。本当にありがたかったとお二人はいいます。 佐藤さんは、震災の直後、新潟県長岡の消防団を見かけて、すぐに駆けつけてくれたのだと、泣くほど嬉しかったといいます。また、これはご存じの方も多いかもしれませんが、台湾からは現金で多額の支援がありました。被災地の小学校に人数分のランドセルや自転車の寄付があったり、お金や物だけでなく、現地入りして復興支援にあたった人も多くいました。 たくさんの支援があり、現代は冷たい社会といわれるけれど、あったかかったと、お二人が口にするのが印象的でした。それまで災害などがあったときに、自分たちはそこまでしていただろうかと、自分を省みたというふうにまでいわれていました。

何かしたい、その気持ちに応えるために

一方で、何かしたくても、津波で流されて、とにかく何もなかったということも、よく分かりました。一番早くに届いた支援は、おにぎりやカップラーメンなどで、しばらくはそればかり食べていたそうです。ただ、急いで用意されたもののため、半分生米というおにぎりもありました。そうやって食べきれないおにぎりを、雑炊に調理し直したり、また十三浜はわかめが有名で、わかめはたくさんあったため、それを洗った際に出る水で野菜の短冊切りをつけて、サラダのようにして出したりして、とても喜ばれたそうです。食べ物も、水も、非常に貴重でした。 さらに、東北グランマのプロジェクトに直結することでいえば、仕事があり、お金をもらえるということが、とても張り合いになるそうです。震災からしばらくは、さまざまな小物作りの依頼もあったそうですが、結局どうなったか分からないもの、ごく少額しか支払われないものも少なくなかったようです。東北グランマのプロジェクトは、前述のように、ただの支援で終わらない、プロの仕事として製品作りを行っています。その分、納期や数量、品質など、厳しいレベルを求められますが、だからこそ、継続されるプロジェクトになり得るのです。 アバンティさんオリジナルのクリスマスオーナメントやお守りは弊社でも取り扱いをはじめています。3・11大震災は大きな出来事ですが、誰も、どこでも、何が起こるかは分からない世の中です。だからこそ、目の前のひとつひとつのことを大切にしながら、何か起きたときにそれを自分事として手をさしのべられる世の中へ、その一歩となれれば幸いです。

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- 特集 - 2015年11月発刊 Vol.98

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