みやげ物屋さんのような外見に興味を引かれて近寄ると、甘い匂いが一層濃くなります。ケーキ屋さんの近くにいるような濃厚な甘い香り。バニラのような、煮詰めた砂糖のような・・・。周囲を包む香りに、胃袋が敏感に反応し口内に唾が溜まります。ガラスの向こうにはわずかな商品が見えますが、店員らしき人影はありません。入るに入れずうろうろとしていると、恰幅の良い男性が入り口から顔をだしました。人懐こい笑顔を見せる彼が、ここ「わらしべ屋」の主人、椋さんです。
兵庫県篠山市。全国にも名の知れた丹波種の黒豆の産地で、「わらしべ屋」の主人 椋さんは、名産の黒豆を使った「しぼり豆」や「煮豆」などの加工品作りを30年以上も続けています。甘く炊き上げた豆を乾燥させた、一見地味で素朴なお茶受けでしかなかった「しぼり豆」が、彼の手にかかるとコーヒーにも紅茶にも合うおしゃれなお菓子に大変身。化学合成された農薬や肥料を使わない黒豆を、バニラの風味豊かな「洋菓子」に仕上げた抜群のセンスと味覚の持ち主です。豆を煮あげて甘味を染ませ乾燥させるだけの簡単な行程を一切自動ライン化することなく、必要な部分だけ機械の手を借りて仕上げる製造方法の鍵は、職人の勘。原材料は黒豆と砂糖、塩。風味づけには、バニラエッセンスとブランデー。誰もがスーパーで手に入れられるようなわかりやすい原材料ばかりを使っていても、出来上がったしぼり豆は、豆の滋味と甘味、ブランデーとバニラの風味が複雑に絡まった一級品。毎日、毎日、同じ作業を繰り返しているからこそ磨かれる人間の第六感が仕上げた比類のない美味しさです。
招きいれられた工場内は、丁度しぼり豆の乾燥作業のど真ん中。一歩踏み入れた途端に、むわーんと甘い香りが迫ってきます。長方形の浴槽のようなステンレスの桶の中に敷かれた布の上には、真っ黒につや光りしている黒豆。成人男性がひとり足を伸ばして入れる位の大きさのその桶の中には、重量にしておよそ60kgの「しぼり豆予備軍」が入っています。
「60kgは乾燥しているときの重量だから・・・実際には今はもっと重いですね」。
男性が二人がかりで布の両端を握り、ムラが出ないよう天地を返します。豆に傷がつかないよう慎重に、何度かにわけて天地を返すと、再び乾燥機に戻しました。ここから再び、最低4時間乾燥させます。
「移転してきたばかり」という工場の中央部は、ずらっと2列に並んだ鉄釜が。この鉄釜が煮豆の釜です。その奥にある小ぶりの流し台が、すべての工程の入り口となります。 「ここで洗った豆を、煮豆にする分はそのままその鉄釜にいれて、しぼり豆にする分はこのかごにいれてこちらの釜で炊きます」。
釜、と指された銀色の筒は、高さが160cm位あるでしょうか。周囲が一抱え以上ある銀色の筒は、しぼり豆用の煮釜です。
「この釜に入れて1回。煮汁を捨ててから2回炊いて、柔らかくなったところに蜜を入れ、糖度が60度くらいになるまで煮詰めます。60度になったらそのまま冷まして蜜をしみこませます。1回目を茹でた後に固さを見て、固かったら重曹を入れたりしますけど、まあほとんど入れることはないですね。」
蜜が染みるまでに1日。蜜が十分染みた豆を乾燥させるのにまた1日。
製造「工場」という呼び方をしても、全体が一望できる広さのこの室内には、自動化された「機械仕掛け」の装置はなく、すべての工程には必ずひとの目と手、五感が関与しています。
「豆はね、打ち付けてみると割れやすい豆かどうかがわかるから・・・」煮ている間に割れたり、かけたりする豆は、商品にはなりません。割れる豆か、割れない豆かをみきわめる技は、「その日の水の量」を見きわめる手段でもあります。「これをこう、落としたときの音がね」と、豆を手ですくってぽろぽろと落とす仕草で椋さんが云います。
「この落としたときの音がどんな風かで、『今日の仕上がりはこれくらい』とか、『今日は焦げるかもしれない』とかいうことがわかるんですよ。毎日作業している職人なんかは、『社長、今日の出来高はこれくらいです』って、しかかる前に教えてくれる。僕はもう毎日直接製造しているわけじゃないから、彼の云うのを聞いて『そうか、そうか』って」。
笑いながら話す彼も、「黒豆の目利き」といわれるまでには沢山失敗をしたのだとか。まだ大学生だった頃の椋さんは、縁があってこの篠山の地に足を運んでいました。当時はまだ、丹波種の黒豆というのは、世間に知られてもいなかったといいます。「農業加工品」の事業を立ち上げようと尽力していた彼のお父様と、「地元産」で丁度伸び始めていた黒豆。この2つの偶然が重なって「黒豆の加工品」に着手したはいいものの、「黒々と美しい大豆」と「加工にむいた大豆」は決して同じものではありませんでした。
「見た目がすごくきれいなね、つや光りした大豆を仕入れるでしょう。そうすると3ヶ月もするとカビが生えるんです。『大変だっ』てね、これを煮ても、苦くて食べられたもんじゃない」。 しっかり乾いた大豆は、表皮にくすみがあったりするものです。「すばらしくきれいな大豆はまだ水分が飛びきっておらず、長期保存にはむいていない」と、今だからわかることですが、経験の浅い当時の彼にはそこまで見極めることができませんでした。豆による水加減の違い、煮ようとすると割れてしまう豆。決して安くはない「丹波種の黒豆」を、いかに「商品化」できるように加工するか。創意工夫を繰り返す中で、結局落ち着いたのは「少量でも確実に、ひとの手と勘を使ってじっくりとつくること」でした。
「昔ながらの製法で・・・っていうのは、違うかな」。
つくり方の特徴を教えてください、という問いに対してポロリとひとこと。「煮るのにも乾燥するのにも、機械が入っているし。『じっくり時間をかけて』だと思いますよ」。
黒豆は「黒光り」した色合いが命です。
少しでも「見栄え」の良いしぼり豆や煮豆をつくるために、あれこれ投入し発色を良くしようとする製造者が多い中、
砂糖と塩、豆とわずかな香料以外は一切使用せず、ただ時間をかけて少量ずつおいしいものをつくろうとする「わらしべ屋」さんのあり方は、「真っ正直」な製造者の姿そのものです。