山の新緑が美しい時期は、海草にとっても芽吹きの季節。
島根県の最北端から「あらめ漁がはじまりますよ」とお知らせを頂いたのは、丁度、田に水がはいりはじめた時期でした。カルデラ地形の島前(どうぜん)と隠岐諸島最大の島である島後(どうご)によって成る隠岐諸島は、大山とあわせ国立公園に指定されている自然豊かな場所です。七類港からフェリーで2時間半。更に西郷の港から島の中心部を一路北へ、新緑に萌える山と早苗が風に揺らぐ風景を抜け、車で約40分。七類港では群青から青に近かった海が、島後(どうご)の中でも最北端に位置する白島海岸付近では、底まで透けて見とおせそうなエメラルドグリーンに変わります。私たちがご紹介している「隠岐あらめ」は、この息を呑むように美しい白島海岸沿いで採草されています。
あらめ漁の解禁日は年によって異なり、新芽が採草できるのは5月から6月初旬までのわずかな期間です。岩肌に根を張るあらめを採草するために切り立った岩沿いに船を寄せるため、完全な凪(なぎ)を狙って船を出し、箱めがねをつかって採草します。海が比較的穏やかだといわれるこの時期でも、雲ひとつない晴天が完全な凪(なぎ)の海を約束するわけではありません。漁が出来るか出来ないかは、すべて海の機嫌次第。風向きひとつで海が荒れ、漁師は浜に足止めされます。採草する漁師と、そしてそれを買い取り加工する製造者との連携によって食卓に運ばれるあらめもまた、自然によって左右される天産物であることにかわりがありません。
空が白みだす早朝5時ごろに船を出し採草してきたあらめを、乾燥し袋詰めするまでが漁師の仕事。そして、袋詰めされたあらめを出荷に応じて加工するのが製造者の仕事です。「隠岐あらめ」は年間をとおして販売されますが、その原料は葉が柔らかい時期に採草されたものだけに限られます。製造者は海が荒れて船が出せない可能性も考えて、1年間に必要な量に加え3~4か月分の予備も仕入れるといいます。特に個人の製造者は、あらめ漁の解禁からあご(とびうお)漁が始まるまでの1ヶ月程度の間に仕入れを終えてしまうようです。この中村地区のあらめ製造者である伴林さんのお宅を訪れると、作業場の屋根裏には、袋一杯に詰まったあらめがびっちりと詰め込まれていました。「まだ漁が始まったばかりだから、これからもっと増えますよ」という彼女の足元には、畳まれたナイロン袋が膝の高さ以上に積上げられており、外には軽トラックの荷台に山のようにこんもりと、サンタクロースの袋のように膨れ上がったナイロン袋いっぱいに、昨日仕入れたあらめが詰められ積まれていました。
「とってきたあらめは漁師さんがそのまま浜で乾燥させます。それを仕入れて、年間とおして加工して出荷します」。
荷台から降ろした袋を開けると、磯の匂いと共にぱりぱりに乾燥したあらめがでてきました。「ここが軸の部分ですよね。ぎりぎりで刈っていますからね。これがこう、こういう風にふたつくらい合わさって、下に一本長い軸に繋がっているんですね。それで軸の先が岩にくっついているの」。刈り取られたままのあらめは、軸から先端までで成人女性の片腕くらいの長さでしょうか。固い軸に繋がった薄く繊細な葉。少し緑がかった黒さの表面に、細かくうっすらと塩がふいています。漁師から仕入れたばかりのあらめを口にすると、磯の香りを追うように苦味が口の中に広がります。5mmにも満たないカケラを口にしただけでも、とにかく苦く渋い。あらめを加工する第一歩が、この苦味、アクを抜く作業です。
「この網の袋に入れて一旦また海に戻すんです。最低6時間か7時間くらい。前は一晩中戻していたんですけれど、温度があがってくると、私はちょっと長すぎるかなと思って短くして、朝つけたら夕方あげています」。巾着袋状の目の荒い網は、おとながひとりすっぽり入れそうな大きさで、女性の肩の高さぐらいの長さがあります。この袋一杯に乾燥したあらめをいれ海に戻すと聞き、思わず「重たいでしょう」と声が漏れます。
「重たいです。だから機械であげるんです。それをね、引き上げると真っ黒な汁が出るんですよ。ほんとにもう、真っ黒な汁がどんどん出てきます」。
海からあげたあらめからは、染めに使えそうなくらいの黒い色がどんどん出てくるといいます。
「でもそうしないと食べられないんです。よく(アクが)抜けてないと、苦味がのこっちゃう。美味しくなくなっちゃうんです」。
アクが抜けきったものを、次は釜で煮ます。大釜の燃料は、なんと薪。大きな釜ふたつを火にかけると、夏場はとんでもなく暑くなるといいます。
「炊く時間は(加工者によって)みんなそれぞれ違うんです。その時間によって、固かったり柔らかくなったり・・・。企業秘密ですね」。
「とんだ企業秘密ですね」と伴林さんは笑いますが、薪火も煮あげる時間も、すべて美味しさに繋がっているのでしょう。煮あがったあらめは、次は網に並べて乾燥させます。干し網の木枠は、あらめの色素で漆を刷いたように黒く染まっています。
「幅広のばあいは、この状態で包丁で切ってます。どうもね、乾燥させた状態で切るとこなるし、すごい塩がね、舞って大変なので、煮てから切ることにしました。でね、大きいまんま煮たほうがいいような気がして。美味しい気がするんですよね。細切りの場合は仕方がないですけれど、幅広は私の場合は大きいままで煮るんです。そのほうが栄養が逃げないんじゃないかって」。
乾燥網1枚あたりに200~300g、一度の加工で大体60枚。一回に沢山できるものではない上に、それを連続するのだから決して楽な仕事ではありません。昔はお父様とふたりで作業されていましたが、今は製造行程は彼女ひとり。つけるのに1日。煮るのに2日。乾燥させるのにまた1日。細切りをつくろうと思うと、締めるのにもう1日。あらめの製造には最低でも5日はかかります。
「体力との勝負です。どういうわけか年々きつくなりますよ」。
伴林さんは笑いますが、海水に戻して水分をたっぷり吸い込んだあらめを引き上げ、釜で炊き上げ、乾燥させるという作業は、言葉以上に過酷でしょう。また力仕事でありながら、繊細で丁寧な配慮が必要な仕事でもあります。優しくそれでいて分厚い彼女の両手。柔らかく味わい深い本物の美味しさを作り出すのは、身体をつかって働く伴林さんの力強い両手と心遣いでした。
中村の浜で出会った地元の方がいいました。
「彼女はね、食べるひとのことも考えてつくっているんですよ。彼女にしか出来ない心遣いがあって、だから彼女のあらめは柔らかくて美味しい」。
仕入れたばかりのあらめを見せていただく中で、葉の先端に近い部分が一部変色したように白くなっているあらめが目立ちました。 「最近、こういう風に茶色くなっているのが増えてきているんです。焼けているんでしょうかねえ。これは茶色ですけれど、白くなっているのもあります。南の方から、だんだん海草が白くなってきているという話も聞いたのですけれど・・・、石灰化というのかしらね。あらめもいずれそうなっちゃうんのかしら、と思ったりね」。
九州方面から暖流に乗ってやってきた魚も、昔は冬季の島根の海では生き残ることができなかったといいますが、今では海そのものが暖かくなったせいか、暖流の魚がそのまま定着しているといいます。陸地の生産者からも耳にする気候の変化。ここ隠岐の海でも少しずつ変わりつつある何かが、あらめにも影響を及ぼしているのかもしれません。