一陽来復とは、「冬が去り、春が来ること。悪いことばかりあったのがようやく回復して善い方に向いてくること」(広辞苑 第五版)。易占いの古典「易経(えききょう)」に原点を持つ、太陽が再び暗闇から姿を現すさまを連想させる言葉です。
化学合成された農業資材が普及し、商品作物の大量生産・大量流通が可能となった時代を経て、その反動のように、作り手や食べる側の「健康」に配慮した農産物が重要視されるようになりました。
しかし、有機農業が認知されるようになってから30年以上経過した今でも、日本の有機農業の普及率は耕作面積の1パーセント以下だといわれます。
この数値を高いと考えるでしょうか、それとも低いと考えるでしょうか。
重要だと考えるでしょうか、それほど重要ではないと考えるでしょうか。
数字は、見るものの立場によっても、知識の量によっても、いかようにもその意味合いを変化させます。
化学合成資材に頼ることなく農作物を育てるという選択は、有機JA認証を取得するという選択肢には直結していません。残念ながら、認証を得るための費用や手間を考えると、割に合わないと判断される方も少なくはなく、高齢化する一方の農業従事者にとっては、手間以外の何物でもなかったのかもしれません。
他方、お互いをよく知る者同士が農産物を売買する分には、栽培方法や圃場の状況は一目瞭然であり、第三者の公的な保証を必要としなかったのかもしれません。
同様に、個々の消費者も作り手を知ることが出来れば、公的な認証に依存せず自身の目と判断による保証が可能となります。
有機認証の有無に関わらず、作物も圃場も、生産者も消費者も、その周囲に暮らす人々皆が、健康で暮らし続けられるような、その生命を全うできるような、食料生産のあり方を。
わが子のように育んだ食物を提供する生産者と、志を同じくする買い手がその恵みを受け取り日々の糧とする大きな輪をつくることができれば、そこには認証に依存しないコミュニティが出来上がるのではないでしょうか。そしてその道のりは、まさに太陽がゆっくりと昇る様に似ているのかもしれません。
一陽来復は、生産者と購入者、農と生活の新しい繋がり方を提案する商品たちです。
有機の認証ではなく、生産者と購入者の相互信頼のもとに「自然農法」で栽培される、大地の力と太陽の恵みをいっぱいに受けた農作物。
それを加工し、より多くの方にお届けすることで、また一人、新しい生産者が自然な食糧生産へとシフトしていきます。