欧州連合は、反パームオイルの風潮が強いです。
どのくらい強いかというと、EU加盟国で暮らしていると、「パームオイル不使用」のサインを目にしない日は無いといっても大げさでないくらいです。
健康への影響はもちろんですが、それ以上に環境への影響の大きさを懸念して、2017年にパームオイル調達のガイドラインを設定しました。量販されているチョコレート製品の多くには、形状を問わずパームオイルが使われていますが、パーム調達の裏側が報道されるごとに、消費者の購買行動に変化が現れました。世界的に名の知れた大手企業も、レシピを変えたり、自社のパームオイル調達経路を公開したりせざるをえないほどの変化だったようです。
日本でも反パームオイルの声を聞きますが、決して大きいものではありません。実際のところ日本では、お菓子や菓子パン、カレーなどのルー、インスタント食品と多くの加工食品にパームオイルが使われています。一説によると日本人一人当たりのパームオイル消費量は、年間5kgともいわれますので、パームが無くなったら、どれくらいの割合の食品が棚から消えるのだろうと思わずにはいられないほどです。アメリカ合衆国では、パームオイルが健康に与える影響を懸念する声が高まり、環境に負荷を与えるかどうかと等しく商品選択の基準になっているようですが、日本では「パームオイルを選ばない」という声は、どちらからというと前者の影響の方が強いように感じます。そのせいか「パームオイル」を全否定するというよりは、原料のパームヤシの栽培とオイルの精製方法の両面を「検討した」パームオイルが流通しています。
社会的な背景を知った消費者が国家単位の意思表示として「NO」を表明する欧州連合と、健康への影響を契機に法令を定めてしまうアメリカ合衆国をみていると、それぞれ経緯は違っても導き出す結論が似ているなあと感じます。消費者の学びや思考が法の改正や規制の制定という国家の意思に結びつく様は、善きにしろ悪しきにしろ、「国家はあくまでもひとの集合体」なのだと痛感します。けれどもそれ以上に、「思考する消費者、学ぶ消費者」の強さに希望を見出します。
小さな子供にも「何故そう考える?」と問いかけるひとたちは、子どもの頃から「調べ、考え、議論する」を当たり前に繰り返しています。行動には理由があるから、理由には「自分の考え」があるから、何も考えずに行動するわけがないだろうと、彼らは「何故?」と問いかけます。傾向や風潮の強弱だけなのかもしれませんし、「他の文化圏」で育った者の「隣の芝生」的観点でないとは云いきれないと承知したうえで、それでも「消費者の自己主張」の強さが社会をも変えてしまう様を目の当たりにしていると、対して日本はどうだろうと考えてしまいます。
どちらかというと個々に重きを置く文化と、どちらかというと社会・周囲との和に重きを置く文化では、億単位のひとの集まりにおける「意見」の形成過程がかわるのは当然です。「○○だからNO」とすべてを否定してしまえる白黒のつけ方は、客観的に見ている分には非常に気持ちがいいものですが、欧州連合が加盟国を挙げて「反パームオイル」になっているのも、「パームオイル不使用」が大衆迎合的に販売促進の手法になり果てているのもどうかとは思います。ただひとつ、日本の大手量販店にならぶ食品に、「政治的背景」をもつ、あるいは「消費者の学びを促す」販売促進の表示やコピーを見たことがあっただろうかと考えるのです。
たかが表示、されど表示です。
食というフィールドに関わるものとして、自分の仕事を俯瞰してはため息をついています。同じ地球という星に住まうものとして、皆で生きていくためにはなにをするのか?今、何をするのか?プレマシャンティをとおして、まだまだ学びを重ねます。
とはいえ、五感に訴える、魅了するものがなければ、何も始まらないのが食品です。美食の国の学びをどう生かすのか、これはこれから先の、自身への課題です。