プレマシャンティ開発チーム 横山です。
以前、「100年ごはん」という映画を見に行きました。
上映会が各地で開催されており、注目も集まりつつあるので、
ご存知の方も少なくないと思いますが、この映画は、
2010年に立ち上がった「臼杵市土づくりセンター」を軸に、
大分県臼杵市が町をあげて、暮らしたい未来を市民が能動的に
再構築しようとする取り組みのものがたりです。
草木類を主原料にした完熟たい肥をつくるセンターを中心に、
土づくりから取り組む農業の原点にかえる人々の姿と、
そこから得た農産物の普及に尽力する人々の、4年間の想いが、
今の臼杵市を繋ぎ合わさって、フィルムが終わります。
丁度、この上映会と前後して、
お客様からあるお声を頂いていました。
「プレマさんは最近、自然農法の商品が減りましたよね。」
世界中から新しい子たちがどんどん集まる中で、
確かに自然農法の割合はさがっているのかもしれません。
けれど、プレマシャンティには「自然農法」に繋がる子たちが、
全体の3割近く含まれています。
化学肥料不使用、化学合成農薬不使用とあるのが、目印です。
また「無為自然」や「一陽来復」とあるものも、同じです。
プレマシャンティは、自然農法だからではなく、
その作り手が好ましいので、交流を求めます。
この方と仕事がしたいから、彼らの作品を預かります。
人物ありきで始まった交流には、「規格」は必要ありませんが、
人物が見えない「取引」には、規格や契約がなければ、
どこかにいつも、不安が漂います。
自然農法という概念には、有機JASのような「規格」がありません。
従って、各地で活動する方々は、それぞれの想いに沿った
個々の「自然農法」の基準をつくっておられます。
大きな団体は、自己基準に沿った認証制度を持っている反面、
数人のグループで学びを重ね、独自の農法を確立した人たちは、
認証制度を持ちません。
そして彼ら個々が持つ基準全てに共通する「基準」や、
作り手と私たち消費者の間に共有できる「基準」は、
残念ながら、自然農法には存在しません。
それゆえに比較的、一般的にわかりやすい表現を求められます。
「化学肥料不使用」や「化学合成農薬不使用」という
言葉の選択が、それにあたります。
基準や規格を好意的に定義すると、共通言語です。
日本語でいうところの、「標準語」に類します。
「自然農法」という言葉は、ある意味、「標準語」から外れた、
翻訳が必要な言葉ですから、「共通語」に近い単語と、
表現が求められています。
翻って、有機という言葉。
こちらは「有機JAS認証」という規格、つまり標準語に引っ張られ、
「有機=有機JAS」と錯覚する方も少なくありません。
有機とは、無機質ではないということです。
そして、生命力を宿しているということです。
臼杵市は、「有機の里」づくりを目指していますが、
臼杵の農産物が、一律に有機JAS認証の取得を
目指している訳ではありません。
臼杵の有機は、「自然との共生」です。
自然との共生は、自然との調和を意味し、「規格」が定める
狭い言葉の枠を越えた、より広い概念を持っています。
農林水産省の指導では、自然農法とは何かを定義して、
自社基準をつくってしまえば、「自然農法」と記載しても
構わないのだそうです。
弊社は弊社の「解釈」を提示してはいますが、
日本各地で、自然と共生し土を耕す人々が個々に持つ
全ての解釈を含有し、プレマシャンティとして提示出来るほどの、
より大きな解釈が必要なのかどうか、考えあぐねています。
各地の作り手を巡ればその分、お話をすればその分、
自然は流動的で、私たちの技術も流動的で、解釈もまた
常に変化することを、肌で感じてしまうからです。
「100年ごはん」は、プレマシャンティのテーマでもあります。
食卓の献立が変わっても、材料となる調味料の作り方や、
農産物の育て方は、100年後も繋がっていて欲しい。
100年後の食卓に、届けたいものを考えたとき、
そこには恐らく、「有機JAS」のような規格を越えた、
「標準語」の解釈だけにはとどまらない、それぞれの個性が
しっかりと残った品々になるのではないかと思います。