横山@フランスです。
2018年は春から初夏にかけて、まともに電車が動いていません。
理由は、SNCFのストライキです。
マクロン大統領の労働改革に対する抗議活動として、4月初旬から6月末までの長期にわたるストライキに突入し、3日動いて2日休むという5日間サイクルを繰り返しています。ストライキカレンダーまででているのだから、驚きです。
SNCF(Société Nationale des Chemins de fer français)は日本でいうJRに近く、フランス全土の交通網を仕切っています。フランスの鉄道は、首都であるパリから放射状に延びています。国鉄の管轄は首都と各都市を繋ぐ交通網が主で、都市間を横に繋ぐ線路はないに等しいので、住まいを職場と同じ街内にする傾向の強いこの国では、長期休暇でどこかに行くとか特別な理由がない限りはあまり影響がないようにも思うのですが、埼玉や千葉、神奈川から東京に通勤するように、パリ近郊の都市から片道1時間近くかけて電車通勤するひとも少なくありません。平行して運行する私鉄やバス網もないので、公共交通網の代替えがないものだから、正面衝突事故にも近い影響が出ています。日本だと「ストだから会社を休みます」なんてあり得ないのだけれど、こちらでは会社側も配慮があるようで、自宅勤務に切り替えや振り替えをしているところもあります。車で移動しようものなら、渋滞世界一と云われるパリ環状高速道路、ペリフェリック(Périphérique)のなお一層の大渋滞にはまるだけ。普段でもちょっとしたことで片道1時間の道のりが2倍になるのも珍しくはありませんから、ストライキで電車がない日には、簡単に「じゃあ車でくれば?」ともいえないのでしょうか。
更に驚くのは、電車を止めたSNCFに対して批判がすくないこと。
パリに通うひとたちの間からも不満の声を聞きませんし、ラジオでも何かを云っているわけではありません。世論調査で「関心を持たない人が増えた」との結果がでているものの、ストライキそのものに対して批判的な意見がすくないのは、皆、明日は我が身だからでしょうか?フランスはストライキの多い国だとは聞きますし、実情そのとおりでもあるのに、飛行機が飛ばない、電車が動かない、という事態に対して、市民の行動も言動も冷静です(日本だと、メディアが大騒ぎしそうなんですけど・・・)。面倒がったり、冷笑したりという反応はもちろんありますが、さすがストライキ慣れとしているというか、批判する前に代替え案を探そうという気風が強いように感じます。恐ろしく皮肉屋の知人ですらストライキに対する発言がないのが不思議で聞いてみると、短くひとこと「明日は我が身」と返されました。
労働者の権利擁護への欲求も強く、感情の発露が激しいフランス人たちは、いつ己がストライキの主体になってもおかしくないと考えています。「自由・平等・博愛」の国旗が示す国の在り方は飾りではなく、彼らの精神構造そのものの土台の様子。自由と平等は相手の自由と平等を認めてこそ初めて成り立つものと、多くのひとがはっきりと断言します。多くの先進国がそうであるように、近年は昔ほど国旗の示す精神が根底から理解され、実践されてはいないという声も聴きますが、それでも自分の権利を全力で主張しながらも、相手の権利も認める姿勢には感服します。結局、権利は主張できても、主張する権利が認められなければ、擁護されなければ、本当の意味での「権利の主張」にはならないのではないかと感じます。云うのは自由、行動も自由。けれども耳を傾けるひとがいなければ、場を提供してくれるひとたちがいなければ成り立ちません。また周りが関心を持たなければ、権利の主張もなりたちません。だからなのか、SNCFのストライキも3日運行して2日休むというスタイルで曜日は不特定ですし、今年2度起きた航空会社のストも、人の移動が多い金曜日は避けました。もちろん会社との軋轢を最小限にする意味もあったのでしょうが、移動する人の権利・暮らす人の権利を擁護しつつの自己主張のように思えてなりません。たかがストライキ、されどストライキ。この国での自由と権利の在り方の根強さを感じた一面です。
権利の主張は守られてこそ、初めて主張できるもの。
プレマシャンティの主張も、多くの方々に守られているんですよね。
プレマシャンティもまた、共存の場です。己とは違うあり方を批判するのではなく、主張を認めたうえで堂々と議論できる、そんな「プレマシャンティ」でありたいとフランスという国で改めて考えています。