プレマシャンティ開発チームの花井です。
昭和54年(1979年)に結婚して、小田急線の柿生駅から歩いて10分ちょっとの2Kの一軒家を借りました。
柿生駅は神奈川県川崎市ですが、住んでいたのは東京都町田市でした。
道路側と裏側に合わせて10坪ぐらいの庭があったのですが、家庭菜園をやってみたくなり、毎朝、早起きして出勤前に耕しました。
24歳と21歳の若い新婚夫婦がモンペを穿いてクワで耕している姿は、ちょっとどころか、近所ではだいぶ浮いた存在でした。
道路側は駐車場にしていたようで、砂利だらけでしたが、一ヶ月ぐらいかけて、せっせとフルイにかけ、フカフカの畑にしました。
猫の額ほどの狭い畑でしたが、少量多品種でいろいろな種を蒔きました。
大根、人参、ゴボウ、カブ、小松菜、ほうれん草、トウモロコシ、枝豆、ナス、きゅうり、トマト、イチゴ・・・
もちろん、農薬や化学肥料は使いません。
初年度は連作障害ゼロでしたので、何でもよく育ちましたが、あまり深く耕さなかったため、大根とゴボウは20㎝ほどの短いものができました。
畑の経験は初めてだったので、種を蒔いて、芽が出て、生長するのを見るのは、ワクワクドキドキして、とっても楽しく、勉強にもなりました。
昭和58年に必要に迫られて軽自動車を購入することになり、道路側の畑は駐車場に逆戻り。
その後、引っ越してしまったため、家庭菜園はそこまで。
当時、オーサワジャパンの本社兼店舗兼倉庫が小田急線の東北沢にあり、同じ小田急線の沿線に取引先の農地があって、草取りが間に合わないと言うので、社員が交代で何回も援農したことがありましたが、昭和58年に板橋区に倉庫を借りて板橋勤務となってしまったため、援農もおしまい。
でも、板橋の倉庫の脇には空き地があり、しばらく早朝出勤して耕し、畑にしました。
同調者は誰もおらず、やっぱり浮いた存在でした。
何を蒔いたか詳しくは覚えていませんが、そこそこ広かったので、在来品種の「もちトウモロコシ」を黒いのやらマダラ模様のやら何種類か蒔いて、楽しみました。
3年ぐらい続けた記憶がありますが、仕事が忙しくなり、以後、土に触れる機会はほぼなくなりました。
最近、知り合いが農地を借りて農業を始めたとか、家庭菜園を始めたといったお話をよく耳にするようになり、つい昔の記憶が蘇って、また土に触れてみたくなりました。