男3人兄弟の末っ子で、両親とも特に音楽好きという環境ではありませんでしたが、なぜか幼稚園の頃から音楽が好きでした。
たまたま家の裏にバイオリン教室があり、幼稚園の時に習いたいと親にせがみましたが叶えられず、小学校に上がると今度は近所のピアノ教室に通いたいとせがんだのです。
初めは渋っていましたが、根負けして習わせてもらえることになり、ただ、ピアノは論外ですがオルガンも買ってもらえず、しばらくは教則本(赤いバイエル)についている紙の鍵盤で練習しました。
半年ぐらい経って紙の鍵盤が手垢で真っ黒になった頃、足踏み式ではない電気オルガンを買ってもらえました。
当時、ピアノが買えるのは、よほどのお金持ちだけでしたので、オルガンでも十分嬉しかったものです。
ピアノとオルガンでは鍵盤のタッチが違い、ピアノの上達のためにはよくないのですが、とりあえず音が出て練習ができればよかったのです。
小学校5年生の頃、父親が「中学まで続けたらピアノを買ってやる」と言ってくれたのですが、5年生の時に学校の鼓笛隊の小太鼓が面白くてハマってしまい、ピアノを習うことをやめてしまいました。
6歳上の長兄と3歳上の次兄は、当時フォークソングが流行っていたこともあり、高校時代にフォークバンドを組んで文化祭に出ていました。
兄達の影響を受けて小学校高学年でアメリカのフォークソングのレコードを聴くようになり、兄達よりも早く、中学2年でフォークバンドを組んで予餞会でデビューしました。
その後、高校時代にフォークブルースが好きになり、大学ではブルースの音楽サークルに入りました。
大学2年頃から日本CI協会でマクロビオティックの勉強を始め、玄米食をしながらもサークルで音楽活動を続けてきたのですが、CIの勉強会で大森英桜先生から、「ロックは肉食の音楽だ!」と言われ、当時、肉食を否定して玄米菜食を徹底していたため、肉食の音楽を聴いたり演奏するわけにはいかないと、サークルには在籍しながらも、レコードを聴いたりバンドで演奏することを封印してしまいました。
ところが我慢は1年ともたず、再開!
肉を断っていても身体が音=ブルースを求めていたのです。
音楽は耳から食べる食べ物ですから、身体の要求を抑えられなかったのですね。
以後、社会人になってからも仕事の合間を見ながら音楽を続け、15年前からは地元の柏駅前(千葉県)で仲間と路上ライブもやっています。
若い頃から、65歳になったら音楽三昧の生活をする!と宣言してきましたが、どうなることやら・・・(笑)
年老いて身体の要求がどのように変わるのか、今から楽しみでもあります。