若いのにモンペをはいて庭を耕して野菜を育てたり、圧力鍋でシュッシュッシュッシュと玄米ご飯を炊いたり、産婆さんも呼ばずに自宅出産したりと、近所では変わり者扱いされていましたが、お向かいに住む7、8歳年上のご夫婦が真似をされて玄米食に切り替えたところ、結婚8年目にして初めて妊娠し、可愛い女の子を出産されました。
昨年、柿生で開催された「ベジ&フォークマーケット」に出店し、30数年ぶりに奥様と再会してお話を伺うと、上のお子さんが産まれたあと普通食に戻り、何年かしてまた子供が欲しくなって玄米食にしたところ、第二子を授かったそうで、有難がられてしまいました。
柿生に住んでいたのは昭和54年から58年までと短かったのですが、55年にはお隣に義姉夫婦が引っ越してきて子供が生まれ、間の塀を取っ払って砂場を作り、幼児用のブランコも置いたところ、近所の子供達のたまり場になりました。
玄米食を真似されたのはお向かいさんだけでしたが、当時、月一で多摩地区の配達を担当していて、オーサワジャパンの車で帰る都度、醤油や味噌を頼まれるようになり、近所に輪が広がっていきました。
値段は高いけど自然食の調味料は美味しいと評判でした。
当時の花井家の食事は、動物性や砂糖を一切摂らない厳格なマクロビオティック食。
学生の頃は一人暮らしだったので、玄米ご飯と味噌汁に日持ちのする金平ゴボウやヒジキ蓮根、ネギ味噌といった陽性食ばかりで、陰性を補うために酒好きになってしまいましたが、結婚してからは日本CI協会出身の妻がバランスの取れたマクロビオティック料理を作ってくれたので、晩酌はめったにしなかったと記憶しています。
食事が陽性過多になると、身体は陰性な甘いものやお酒を要求するようになりますが、女性が食事を作ると、陰性な料理も出てくるので、自然とお酒を要求しない身体になったようです。
そういえば、8年前に陰陽ライフを起業すると同時に兼業主夫になって料理を作るようになったのですが、身体が要求する料理、味付けをしてしまうので、酒量が増えたのかもしれません(笑)。
当時、柿生には自然食品店はなく、食材は野菜も含めてすべてオーサワジャパンから毎日せっせと持ち帰りました。
社員割引があり、小売店と同じ卸価格で買えたので助かりました。
元々、商売ではなく、CI協会会員の病気治しのために純正胡麻油や本葛粉等を扱っていたCI食品部から始まった会社なので商売っ気はなく、社員は優遇されていました。
ただ、病気になっても病院には行かないという前提でしたので、健康保険に入っておらず、今でいう出産育児一時金はもらえませんでした。
といっても、自宅出産でしたので費用は一切かからなかったし(頭が出る時に卵白をつけたので卵代はかかりましたが 笑)、母乳もたっぷり出たのでミルク代もかかりませんでした。
結婚当初のマクロビオティック生活は、健康的でお金のかからないシンプルライフそのものでした。