日本CI協会には、桜沢如一先生と桜沢里真先生、大森英桜先生という三大スターがいらっしゃいました。
マクロビオティック提唱者の桜沢如一先生は昭和41年にお亡くなりになられていますので、残念ながらお会いしたことはありませんが、CIに通い始めた昭和50年代前半には里真先生と大森先生はバリバリ現役でした。(里真先生:明治32年~平成11年、大森先生:大正8年~平成17年)
当時、大森先生の勉強会はCI協会主催の月例会と、有志主催の「如月(きさらぎ)会」というCIの会場を借りた月例会があり、学業そっちのけで毎回参加していました。
その上、昭和52年に始まった第一期の正食医学講座にも参加し、初級前期・後期、中級前期・後期、上級前期・後期と、それぞれ2泊3日の泊まり込みの勉強会を6回受講して修了証をいただきました。
学生時代のバイト代は大半をCIにつぎこんだといってもいいでしょう。
また、花井が学生時代にスタッフをしていた西荻窪の「ほびっと村学校」に先生をお招きして講演していただいたこともありました。
午後7時に始まり、エンドレスで翌朝まで。
先生はずーっとしゃべりっぱなしです。
好評につき、2回、3回と、毎回徹夜でお話いただきました。
その頃、大森先生は睡眠時間3時間、完全無欠で不死身というイメージを抱いていたため、まったく心配することなく徹夜の講演をお願いしてしまいましたが、翌日CIで講演会があり、あとでCIの方からきつく叱られたこともありました。
昭和53年に「ほびっと村」から「やさしいかくめい」という本を草思社から出版することになり、花井がマクロビオティックの記事と大森先生のインタビューを担当することになって、CIで録音しながらインタビューさせていただいたところ、後でテープ起こしをしてみると、文章として手を加える必要がないぐらいに話がまとまっていて驚きました。
実は、大森先生の講義は話が飛び飛びになることが多く、インタビューしても校正が大変そうだなぁという印象だったので、テープ起こししてみてビックリしたのです。
凡人にはわからないレベルだったのでしょうね。