青森県警にお出迎えいただいて本州入りした行進団。
沖縄まで歩いて、そのあとは30歳ぐらいまでブラブラしようかなぁと漠然と考えていたところ、そんな悠長なことを言っていられない状況になってしまいました。
青森→岩手→宮城と歩いているうちに、一緒のテントで歩いていた3歳年下の女性の妊娠が判明したのです。
19歳で北九州から上京して日本CI協会のスタッフになり、行進に参加するためにCIを辞めて歩き始めたのでした。
料理が上手だったので、アメリカのマクロビオティック活動家から、行進が終わったらアメリカに来るように言われていたようでした。
まだ23歳と20歳。
お互いに、あれもやりたい、これもやりたい、とやりたいことだらけだったのですが、歩きながらさんざん悩んだ結果、せっかく「生存への行進」で授かった赤ちゃんなので産むことに決定。
急遽、仕事を探して、家も借りて、婚姻届けも出して、と30歳までブラブラするはずの人生の進路が大きく変わってしまったのです。
福島で行進団を抜けて三鷹のミルキーウェイで居候しながら準備開始。
行進前、日本CI協会のマクロビオティック勉強会に何度も通い、帰りがけにオーサワジャパンで買い物をしていたことと、彼女がCIのスタッフだったこともあって、オーサワジャパンに面接をお願いしたところ、すんなりと正社員として採用が決定してしました。
面接担当者から、
「営業でもやってもらおうかなぁ~」
と言われ、
営業の仕事が何なのかまったく知らないくせに、
「はい、何でもします!」
と答えてしまったのでした。
当時、オーサワジャパンは小田急線の東北沢駅の近くにあったので、同じ小田急線沿線で家賃の安い柿生(住所は東京都町田市)に2Kの一軒家を見つけて借りることにしました。
昭和54年9月に引っ越して、オーサワジャパンで働き始めました。
特に結婚式は挙げませんでしたが、行進団が中心になって吉祥寺の自然食系ライブハウスでお祝いをしていただき、親兄弟は北九州と豊橋の間を取って神戸で顔見せ会を開きました。
こんな不純な動機で入社したのに、20年後にはオーサワジャパンの社長になってしまうのですから、人生面白いものですね(笑)。