昭和54年5月2日、行進団は北海道日高郡静内町のシャクシャイン記念館でカムイノミの儀式をしていただき、翌3日、高校生から50代までの男女22名で歩き始めました。
一日30~40kmをバックパックを背負って歩くのですが、食料(玄米、味噌、醤油、自然海塩等)や調理道具(煮炊き用の薪ストーブ、圧力鍋、寸胴鍋、フライパン等)、配布資料、書籍、楽器等を運ぶためにワゴン車一台を交代で運転しました。
当初は寝袋もテントもバックパックにくくりつけて歩いていたのですが、参加者のほとんどは歩き慣れていないので重い荷物を背負って30~40kmも歩くことができず、歩き始めて間もなく、テントは車に積んで歩くようになりました。
宿泊地は、野営だったり、地域の活動団体の拠点だったり、有機農家だったり、公民館や集会所だったりと、たいてい当日の朝までには決まっているので、それぞれが地図や目印を頼りに宿泊地に向かって歩きます。
参加者はみんな、“反原発”とか“玄米正食”などとバックパックに思い思いの標語を目立つように貼り付けて歩いているので、地元の方や、時には車を運転している方からも声をかけられて話し込むこともありました。
北海道では野草がたくさん採れたので、毎食、玄米ご飯と野草入りの味噌汁、野草の炒め物やお浸しといった一汁一菜の食事が多かったのですが、野草の摂り過ぎのせいか、アク抜き不足なのか、一ヶ月経って北海道から青森に移動する頃には、みんな足が浮腫んだり、目が霞んだり、陰性な症状が出ていました。
青森に移ってから野菜を摂るようになったところ、体調が戻り、野草の強さ、難しさを知りました。
野草の中でも一番美味しくて印象的だったのが行者ニンニク(アイヌネギ、通称:キトビロ)。
いたるところに生えていて、炒め物や天ぷらにと大活躍、行進団の口と胃を満足させてくれました。
調べてみると、5月上旬から中旬頃の山菜ということで、ちょうど旬だったのですね。
ほかにもいろいろな珍しい山菜をいただきましたが、本州では有難がられるフキノトウは雑草扱いで見向きもされませんでした(^_^;)
静内町→紋別町→伊達市→大滝村→岩内町→奥尻島→函館と歩いて、青函連絡船で青森に着くと、待ち受けていたのは数人の警察官。
北海道でもたびたびワゴン車がパトカーに尾行されることがありましたが、青森では堂々とお出迎えいただきました。
まぁ、いろいろな経歴を持つ参加者がいましたから・・・(笑)。