桜沢如一先生の同志だった小林類蔵氏が自然食品店を渋谷に開業したのが昭和30年代。
「自然食品」という言葉を考え、将来、自然食品店が増えることを見越して店名を「自然食品センター本店」にして自然食品の卸売業も始められました。
マクロビオティックの仲間からは、
「自然食品以外は不自然食品なのか?宇宙から見ればすべて自然ではないのか?」
などといった反対の声も多かったようですが、小柄で陽性な小林氏の粘り勝ち。
取扱い商品も、マクロビオティックほど厳しくせず、白米、白パン、白砂糖を使わない所謂「三白追放運動」と、南部鉄製の「天味釜」を開発して「玄米めしませ運動」を展開されました。(画像は日本CI協会の月刊誌「新しき世界へ」1975年12月号の「天味釜」の広告)
その後、自然食品がブームとなり、「地名+自然食品センター」という店名の自然食品店が全国各地に生まれ、小林氏の会社は急成長しました。
本店に併設されたレストラン天味(てんみ)は、昭和50年前後に元ビートルズのジョン・レノンとオノ・ヨーコが何度も通っていた自然食レストランです。
ジョンはアメリカで桜沢先生の高弟の久司道夫先生からマクロビオティックを学ばれたと聞いています。
あいにくジョンには一度もお目にかかれませんでしたが、ビートルズファンではないものの、やはり会われた方のお話を聞くと羨ましい限りでした。
当時の天味はJR渋谷駅から国道246号線の歩道橋を渡った先にあり、行く時は何ともないのに、天ぷら蕎麦などの揚げ物を食べると途端に身体が重くなり、帰りは歩道橋を上るのが辛くなったものでした。
一時期、大食いだったことと、酒飲みだったため、肝臓がやられていたのでしょう。
まだ砂糖断ちができなかった頃は、ちょっと甘めのお菓子を本店で買い、むさぼるように食べたものです。
渋谷駅には自然派のパンやマドレーヌで有名だった神田精養軒もあり、中でもカボチャパイが好物でした。
自然食品センター本店や神田精養軒で買ったお菓子やパイをアパートに持ち帰り、食べ始めると止まらず全部食べてしまい、苦しくなっては嘔吐するといったことを何度も経験しました。
過食症ではありませんでしたが、食欲のコントロールができない時期がありました。
当時、天味で出会ったスタッフの多くが独立して自然食品店を開業されました。
「はじめ健康食品店(三鷹)」、「根津の谷(根津)」、「タンポポ(柏)」、「サンピュア(西葛西)」、「ななくさ(練馬)」・・・
みなさん、ジョン・レノンを目撃された羨ましい方達です。
小林類蔵氏は1992年に96歳の天寿を全うされました。
80歳の頃、日本CI協会で小林氏の講演を聞いたことがありますが、健康の秘訣は人肌に温めた燗酒と、身体が要求している肴を手づくりすること。
都合のいいことだけ覚えているものですね(笑)。