子供の頃、風邪をひいて熱が出たりお腹が痛くなったりした時、母親が必ず作ってくれたのが葛湯とすりおろしりんごでした。(これってマクロビオティックの手当法にありますね。)
“あっかんべー”をさせられて、下まぶたの裏や舌の色をじーっと観察されました。(これはマクロビオティックでも教える望診法です。)
高熱の時は、水枕をしたり、氷嚢(ひょうのう)を専用のスタンドで吊り下げて額を冷やしました。
子供心に嫌だったのはウンコチェック。
色、硬さ、形、量などを見て、くんくん臭いも嗅ぎ、時にはチリ紙でウンコをつぶして消化状態も確認していました。
和式の水洗トイレだったのでチェックしやすかったのでしょう。(故郷の豊橋は空襲で焼け野原になったせいか下水道の整備が早く、生まれた年の昭和30年に建てた家は既に水洗トイレでした。)
これらは祖母の影響かと思いきや、当時、近くに住んでいて、しょっちゅう遊びに来ていた祖母から、そんなことを聞いた覚えはありません。
母親は大正12年生まれ、8人兄弟の長女で、昭和20年8月の終戦間近に祖父(母の父)と弟を赤痢で亡くしたせいか、衛生観念が異常に強く、医者好き、薬好き、注射好き、でした。
なので、物心がついた頃から、具合が悪くなると母親の自転車に乗せられて、かかりつけの医院に行ったり、時には往診に来てもらうこともありました。
注射も何十回も打たれ、小学校に上がる前ぐらいまではお尻に打ち、その後は太ももに打つようになりましたが、太ももはめちゃくちゃ痛かったことを今でも覚えています。
中耳炎もプールで水が入るせいか、毎年夏の恒例行事でしたが、耳鼻科で鼓膜に注射針を刺して溜まった水?を抜く時の激痛は太もも注射の比ではなく、毎年、診療椅子で泣いていました。
あと、幼稚園や小学校から帰ってくると、必ず手洗いとうがいをさせられましたが、反抗期に入ってからは言うことを聞かなくなり、そのまま大人になってしまったので、今でも帰宅時の手洗いやうがいの習慣はありません。(新型コロナウィルス感染対策として手洗いが励行されていますが、変わらず、です。)
そんな母親の愛読書が「赤本」。
押し入れの裁縫道具が入った小箪笥の脇にあった赤い表紙の分厚い家庭医学書、たぶん「家庭に於ける実際的看護の秘訣」(通称「赤本」)だったはずですが、ボロボロになるまで読み込まれていました。
赤本は1,100ページもある民間医療の集大成で、大正14年に出版され、累計1,000万部を超えた超ベストセラー。
これのおかげで、葛湯やすりおろしりんごを食べさせられたようです。
柿渋療法も載っていますが、なぜか実家に柿渋はありませんでした。