プレマシャンティ開発チームの花井です。
前回、桜沢里真先生のことを書きましたが、今回は里真先生の実妹の田中波留子さんのことを書かせていただきます。
里真先生は日本CI協会の会長でしたが、田中波留子さんはオーサワジャパンの創業社長でした。
桜沢如一先生からつけられたPUネームは「フローラ」。
桜沢先生のお弟子さんの間では「フローラ」と呼ばれ、社内では「フローラさん」と呼ばれていました。
桜沢先生ご夫妻が海外を周っている時は日本CI協会の留守を守り、食品事業部門も担当され、先生没後の昭和44年にオーサワジャパンを設立されました。
新宿区西落合に二階建ての一軒家を借りて、食品や書籍の販売、食品の小分け包装、社員寮として使われていましたが、その後、CI協会やオーサワジャパンが移転してからは食品の品質に目を光らせていました。
醤油や味噌、胡麻油、三年番茶等、原料で仕入れて小分けするのですが、田中社長が品質を厳しくチェックされていたのです。
昭和58年に板橋区に本社兼倉庫を借りた時は、会社の近くに引っ越し、社内に小分け包装コーナーを作って毎日作業しながら、社員の給食作りの指導もされていました。
その後、埼玉県富士見市に移転してからは、定期券を買われて、毎日電車で30分かけて通勤され、小分け包装作業と給食指導をされていました。
残念ながら、通勤中に転んで寝込み、里真先生よりも早く、90歳でお亡くなりになられましたが、板橋区と富士見市では毎日ご一緒させていただきましたので、いろいろなことを教わりました。
14年前に兼業主夫になってから守っていることは、「料理が終わったら台所が綺麗になっていなくではダメよ」という田中社長の教えです。
完璧にはできませんが、流し台だけは綺麗にするようにしています。
前回の桜沢里真先生のゴボウの炒め方と同じように、台所で田中社長の教えが生きています。
田中社長の唯一の伝記。
何度も校正させていただきましたが、懐かしい記憶です。