プレマシャンティ開発チームの花井です。
「ナモさん」とは長本光男さんのこと。
有機野菜を扱う八百屋の草分け「長本兄弟商会」の創業者です。
昭和50年頃にトラックやリヤカーで有機野菜の引き売りを始め、昭和51年に東京都杉並区の西荻窪に「ほびっと村」ができた時に1階にお店を構えました。
15歳ぐらい年上だったので、当時35歳ぐらい。
花井はまだ学生で、渋谷にあった今上 武蘭人(いまじょう ぶらんと)さんのマクロビオティック・ロック喫茶「地球の子供たち」で即興演奏グループ「タージ・マハル旅行団」のシタール奏者の永井清治さんからヨガを習っていたのですが、「地球の子供たち」が閉店してしまい、たまたま一緒に習っていた女性が住んでいる西荻窪に「ほびっと村」ができたので、そこでヨガ同好会を開こう、ということになり、「ほびっと村」に出入りするようになったのです。
西荻窪駅から歩いて2分ぐらいの4階建てのビルの1階から3階までが「ほびっと村」。
1階の入口に「長本兄弟商会」、奥には工房「ジャムハウス」、2階に自然食系喫茶店「ほんやら洞」、3階に「プラサード書店」とフリースクール「ほびっと村学校」がありました。(いずれも当時)
それぞれのお店のスタッフも客も、ほぼみんなヒッピー風の方達ばかり。
6歳上の長兄 花井陽光もヒッピーみたいなことをしていましたが、大学で上京するのと行き違いで長野県飯田市に移住してしまったので、東京で一緒にいたことはありません。
「ほびっと村学校」は畳敷きで20畳ぐらいあったでしょうか、10名ぐらいで寝転がってヨガをすることができました。
一度、雑誌「an・an(アンアン)」の取材を受けて掲載された直後は、入りきれないほどの若い女性が集まったこともありました。
ヨガ同好会は日曜日の朝10時から12時まで。
10時前に階段を上る時に、1階を覗くと、長本兄弟商会が開店準備をしていて、ナモさんにもご挨拶。
ヨガの同好会で「ほびっと村」に通ううち、毎週金曜日の夜7時から、様々なジャンルの講師にお話ししていただく「金曜講座」もお手伝いするようになり、花井はおもにマクロビオティック関係の先生をお招きする担当をしていました。
桜沢里真先生、大森英桜先生、佐々井譲先生、阿部一理先生、芸大の三木成夫先生・・・。
大森英桜先生には3回お願いしましたが、3回とも徹夜になり、徹夜明けでそのまま日本CI協会で講演されることがあって、CI協会のスタッフからきつく叱られました。
いつだったか、「ほびっと村」の階段を上ろうとしたところ、ナモさんから
「花井君、学校の事務局をやれよ!」
と声をかけられたことがありましたが、大学を卒業と同時に「生存への行進」に参加予定だったため、断念しました。
その後、オーサワジャパンの営業担当の時に何度もお店に伺い、ナモさんにもお会いしましたが、14年前に陰陽ライフ設立後はお店にいることが少なく、しばらくお会いすることもなかったのに、昨年10月に三鷹の自然食品店「やさい村」の40周年記念イベントが開催された時に久しぶりにお会いすると、83歳のナモさんから「花井君、元気か?」と声をかけられました。
その日、ナモさんは講演もされ、とてもお元気そうだったことと、久しぶりなのにパッと「花井君」と名前が出てきたことに驚きました。
でも、その1ヶ月後にお亡くなりになられたのでした。
一つの時代の終わりでした。
と、なぜ今頃になってナモさんのことを書くのかというと、つい数日前、YOUTUBEのメニューを何気なく見ていたら、いきなり若き日の「ナモさん」の画像が出てきたのです。
タイトルを見ると、
『NHK 明るい農村 村の記録 1978年9月18日放映「ある産直」―30人の都市青年の試み― (2003年4月27日再放送 当時の取材映像含む)』
検索もしていないのに、どうしてこれが現われたのか全くわかりませんが、若い頃から知っているので、パッと見て「あ、ナモさんだ!」と気づき、動画を見た次第です。
https://www.youtube.com/watch?v=1boB0jqWEy4
日本の有機八百屋の原点、ぜひご覧下さい。