プレマシャンティ開発チームの花井です。
野草の美味しい季節ですが、実は野草を摘んで食べる習慣がありません。
なぜかと考えてみると、生まれ育った愛知県豊橋市の実家の周辺は、空襲で焼け野原になり、昭和30年代の子供の頃に遊んだ原っぱは、焼け野原にできた原っぱなので、いわゆる雑草ばかりで、高度経済成長期前の貧しい時代であっても、誰も野草を摘んでいませんでした。
そのせいか、大正生まれの母親は、昭和30年に引っ越した家の狭い庭に、所狭しと食べられる実のなる木を植えていました。
覚えているのは、柿3本、イチジク2本、梅1本、ザクロ1本(実はならず)、夏みかん1本、春みかん1本、キンカン1本・・・。
昭和40年に子供部屋を増築したので、大半は伐採されてしまいましたが、それまでは季節季節に旬の果物をいただいていました。
子供なりに好きだったのは、柿、イチジク、キンカンぐらいでしたが、柿は柔らかく熟した甘いところだけが好きで、イチジクは蟻がたかっているのを蟻を払いながらいただき、キンカンは熟した皮だけ食べて中身は捨てるという超贅沢な食べ方をしていました。
夏みかんなんて酸っぱすぎて一口も食べられませんでしたが、近くに住んでいた当時60歳ぐらいの祖母は夏みかんが大好きで、よく遊びに来ては裸足になって木に登り、嬉しそうに何個も採っていた姿が目に浮かびます。
昔から「なりものの木を植えるな」といわれていましたが、父親は82歳、母親は93歳と、平均寿命を超えて生きましたので、あまり関係ないのかもしれません。
庭のもので母親が料理したのは、夏みかんや春みかんのマーマレード、キンカンの甘露煮でしたが、一番好きで、今でも食べたいのは、柿の若葉の天ぷらです。
あのホロ苦さが何とも言えません。
菊の若葉も同じように天ぷらにしましたが、この二つは未だに食べたい懐かしい味です。
そういえば、昭和54年に結婚してしばらく住んでいた東京都町田市三輪町は、少し歩くと東京にもこんなところがあるのか?と驚くような田園風景が広がり、野草を多少は知っていた女房がいろいろ摘んで料理してくれたことがありましたが、4年ほどで引っ越してしまったため、それ以降は、野草は買って料理するものになりました。
今年も1月7日に七草セットで七草粥を、先月は秋田産のフキノトウでフキ味噌を、昨日は柏のお隣の流山産のフキで煮物を作りました。
野草と言えば、昭和54年5月に「生存への行進」に参加して北海道から歩き始めた時、北海道は野草の宝庫で、毎日野草料理ばかり食べていたところ、半月もしないうちに行進団のほぼ全員が、身体がダルくなったり足の裏の皮がボロボロ剥けてきたりと陰性症状になりました。
皆で原因を考えて「これは野草のせいだ!」との結論になり、野草を摘むのをやめて野菜を買って料理するようになったところ、みんな治ったのでした。
野草は陽性も強い代わりに陰性も強いということを身をもって知ることができました。
何でも陰陽のバランスが大切なんですね。