プレマシャンティ開発チームの花井良平です。
昭和30年代の食生活で忘れてはならないのが学校給食。
幼稚園は弁当持参でしたが、小学校は給食でした。
アルマイトの容器が3つあって、パンとミルクとおかず、だけ。
戦争で米国に負けて余剰小麦を押しつけられたために給食はパンになったとの話もありますが、一般家庭では米飯が主流だったので、子どもは喜んで食べたものです。
パンは食パンかコッペパンで、バター(たぶんマーガリン)や甘~いイチゴジャム(たぶん着色料や甘味料たっぷり)などの小袋が付いていることもありました。
パンを食べたくない時は持ち帰りが許されていたのですが、家に持って帰ると母親から「どうして食べなかったの?」と叱られるため、帰りがけに野良犬にあげたりしたものでした。
昭和39年(1964年)に東京オリンピックが開催され、聖火リレーが故郷 豊橋を通ることになり、6歳上の長兄の同級生が走る姿を見に行ったり、今とは比べものにならないぐらいオリンピックで日本中が盛り上がっていましたが、そのせいか、そこらじゅうにいた野良犬の集団が一斉に野犬狩りにあって、オリンピック前には一匹もいなくなってしまいました。
なついて給食のパンをあげていた野良犬も、ある日突然いなくなってしまい、悲しくて泣きました。
給食のパンには、そんな思い出も詰まっています。
一方、ミルクとは名ばかりの脱脂粉乳、今では想像できないような不味さでした。
先生に叱られて、毎日泣きながらミルクを少しだけ飲まされていた同級生の男子がいましたが、昨年、同窓会で何十年ぶりかで再会したところ、教師を定年まで勤め上げて元気そのもの、牛乳を飲まなくても立派に育つことを身をもって示していました。
おかずはどんなものがあったか、ほとんど記憶にありません。
当時は各校に給食室があり、いわゆる「自校方式」で近所の顔見知りのおばさんも働いていました。
おかずは特別な料理ではなく、一般家庭で普通に食べられているようなものだったのでしょう。
だから印象が薄いのですね。
でも、おかずを残した記憶はないので、可もなく不可もない味だったようです。
給食用に加工食品を買ってくるような時代でもなく、家庭料理と同じように食材を揃えて調理していたのでしょう。
化学調味料は使っていたかもしれませんが、加工食品を使わない分、食品添加物の害は少なかったのではないでしょうか。
当時の給食を再現して食べてみたいものですね。