ふと子どもの頃の記憶が蘇ることがありますが、食べ物がらみが多いようです。
昭和30年(1955年)生まれなので、もう60年以上前の記憶です。
たぶん、一番古い記憶は、台所で母親の背中におぶわれて聞いた子守歌。
「ねんねんころりよ、おころりよ、坊やは良い子だ ねんねしな~♪」。
歌詞で検索して「江戸子守唄」という歌だということを初めて知りました。
もう一曲は「南国土佐を後にして」。
ペギー葉山さんが歌って1959年に大ヒットしたようですが、1959年だとすると3歳から4歳なので、たぶん次兄にいじめられて泣かされた時に、おんぶして寝かしつけながら口ずさんでいたのでしょう。
当時、母親がどんな料理を作っていたのか覚えていませんが、その頃のご馳走といえば肉。
ご馳走は、父親の給料日と家族の誕生日だけで、冬はすき焼き、それ以外はトンカツかトンテキ(「テキ」と呼んでいました)、でした。
すき焼きの肉は豚肉でしたが、肉を箸で取ったらご飯の中に埋めて隠し、最後にゆっくりみんなに見せびらかしながら食べたものです。
そのぐらい、肉は貴重でした。
ふだんの食事は、それはそれは質素で、毎食メインは魚でした。
近所に炭火で魚を焼いている魚屋があり、よく買いに行かされましたが、サバが多かったと記憶しています。
魚好きな父親は、骨だけ残してきれいに食べていました。
肉料理で覚えているのは、ロールキャベツに入っている挽肉ぐらいでしたが、なぜか苦手な味でした。
休みの日のお昼に近所の肉屋にコロッケを買いに行かされましたが、1個5円か10円で買った揚げたてのコロッケは、具も揚げ油も肉の味がして、これは大好物でした。
「きょうもコロッケ、明日もコロッケ~♪」なんて歌がありましたが、これも調べてみると大正時代に流行ったコミックソングで、曲名は「コロッケの唄」だそうです。
昭和30年代、牛肉は超贅沢品で、初めて食べたのはたぶん中学生の頃。
父親の収入が増えたのか、牛肉の価格が下がったのかはわかりませんが、特有の臭みがあるものの、とっても美味しかったことを覚えています。
ビフテキなんぞは夢のまた夢。
高校生の頃に親戚の結婚式で初めていただきましたが、身体が求めていない味がして、その後も好きになれませんでした。
家族で外食したことは一度もなく、母親のおつかいに付き合って、長兄や次兄には内緒で駅前にあった百貨店のレストランでアイスが浮かんだメロンソーダをいただいた覚えがありますが、今考えれば、あのきれいな色は合成着色料でした。
昭和30年代は、食品添加物も化学調味料も表示義務がなく、使いたい放題の時代でもありました。
宣伝が巧みで、某社の化学調味料を使うと頭が良くなると言われ、せっせとご飯にかけて大量に摂っていましたが、そのせいか、中学卒業までは成績は良かったです(笑)