プレマシャンティ開発チームの花井です。
先日、古希を迎えましたが、10年前に還暦を迎えた時のFacebookの投稿が出てきましたので掲載します。
一番最後の行の「当時、学生でしたが、もちろん学校にも通ってちゃんと卒業しましたよ(^_^;)」はウソです(笑)。
学校には行っていましたが、音楽サークルの溜り場に入り浸りで、ほとんど授業は受けませんでした。
当時、学生運動は下火になりかけていた時代ですが、試験が始まると、どこのセクトかは忘れましたが、ヘルメットをかぶった集団が乱入してきて、解答用紙を奪っていくのです。
するとどうなるか?
再試験はしないので、レポート提出になるのです。
訳のわからないことを長文でレポートにして出すと、通ってしまいます。
マクロビオティックのことを長々と書いて通ったこともありました。
たぶん、先生は何も読んでいないはずです(笑)。
そんな時代でしたから、授業も受けず、勉強もせず、もっぱら学校では音楽サークルに入り浸っていたのです。
学外では、以下のとおり、マクロビオティック、ヨガ、ヤマギシ会、ほびっと村、で活動していました。
学生運動が下火になったからこそできた、いい時代でした。
↓ ↓ ↓
還暦を迎えたということは成人してから40年経ったということ。
記憶をたどってみると、ハタチの時(昭和50~51年)にいろいろな出会いがあり、いま、ここにいることがわかる。
【マクロビオティック】
昭和50年、日本CI協会がまだ中野ブロードウェイにあった頃に何度か行ったことはあるが、会員になって本格的に勉強を始めたのは昭和51年4月にCIが東北沢に移転してから。
ほぼ丸2年、桜沢里真先生から正食料理を、大森英櫻先生から正食医学を学んだ。
【ヨガ】
昭和50年、今上武蘭人氏が青学の裏の246沿いで開いていたマクロビオティック・ロック喫茶「地球の子供たち」で、タージ・マハル旅行団の永井清治氏のヨガ教室に参加。
時々、同郷(豊橋の隣の国府)の櫻本芳一師も来られて教えていただいた。
昭和51年、「地球の子供たち」閉店に伴い、仲間とどこかで続けたいね~ということで、できたばかりの西荻窪「ほびっと村」が借りられることになり、毎週日曜の朝10時から同好会みたいなヨガ教室を始める。
ヨガが終わると北口の「たべものや」で食事をしながら参加者と交流。
【ヤマギシ会】
『日光50925』昭和50年9月25日に日光会場で特講(特別講習研鑽会)を受ける。
翌51年3月、三重県春日山で研鑽学校を受ける。
8月、三重県阿山郡の幸福学園「子ども楽園村」を見学がてら新島淳良氏を訪ねる。
52年8月、三重県春日山で開催された「子ども楽園村」のスタッフとなる。
その後、新島氏がヤマギシ会を脱会して提唱した「緑のふるさと運動」に関わる。東大在学中の現在宗教学者の島田裕巳氏もいた。
【ほびっと村】
前述のとおり、昭和51年にヨガ教室が縁で出入りするようになり、各分野の専門家を招いて勉強する「金曜講座」のお手伝いもさせていただく。
マクロビオティックの桜沢里真先生、大森英櫻先生、佐々井譲先生、阿部一理先生、解剖学者・発生学者の三木成夫先生をお招きした。
・・・と書き出したらキリがありませんが、出会いは全部ハタチでした。