プレマシャンティ開発チームの花井です。
昭和30年(1955年)生まれですが、子供の頃のご馳走は、普段の食生活が質素だっただけに、本当に「ご馳走」でした。
当時の花井家の普段の食事は、朝ご飯は、子供がパン好きだったため、パン食と和食が一日おきでした。
パンのおかずは目玉焼きと野菜炒めに生野菜か果物、と決まっていましたが、野菜炒めの中でも、千切りにした人参をよく炒めて塩コショウで味付けした人参炒めが大好物で、今でもパンのおかずの定番です。
和食の時は、炊きたてのご飯に味噌汁、焼き塩鮭、漬け物ぐらいでした。
塩鮭は、後で母親に聞くと、実は鮭ではなく鱒(ます)だったそうですが、鮭よりも脂が乗っていて好きでした。
晩ご飯は、ご飯に味噌汁、近所の魚屋が店頭で炭火で焼いたサバやアジ、野菜の煮物やお浸しと漬け物でした。
なぜ晩ご飯の魚だけ魚屋で買うかというと、朝の鮭は網で一度に5匹焼くことはできますが、サバやアジは大きくて一度に5匹焼けないので、魚屋で買ってきたのでしょう。
ということで、朝も晩もメインディッシュはほぼ魚。
肉は、父親の給料日の晩ご飯に、夏はトンカツ、冬はすき焼きを食べるぐらいで、滅多に食べられない貴重なものでした。
すき焼きの肉は豚肉でしたが、男三兄弟で肉を取り合い、ご飯の中に隠し、小出しにして見せびらかしながら食べたものです。
家で牛肉を初めて食べたのは、昭和40年代に入って中学生になってからだと記憶していますが、慣れるまでは臭味があって好きになれませんでした。
土曜日のお昼ご飯は、近所の肉屋で一個5円の揚げたてのコロッケを買ってきて食べることが多かったのですが、トンカツの揚げ油で揚げているので、肉の味がして大好物でした。
マクロビオティック的に見て、まだ肉をほとんど食べていない時代だったので健康そうに見えるのですが、合成着色料を初めとする毒々しい食品添加物の全盛期だったため、あまり健康的とは言えない時代でした。
今は子供の頃のご馳走が日常的になってしまったため、ふと、ご馳走って何だろう?と考えてみても、何も浮かんでこないのは寂しいことですね。