プレマシャンティ開発チームの花井です。
とにかく肉が大ご馳走だった昭和30年代。
近所の肉屋にはありませんでしたが、豊橋駅の近くにある商店街の肉屋の店頭で、オーブンの中でグルグル回り続ける鶏の丸焼きが、それはそれは美味しそうに見えたものです。
一度でいいからクリスマスに食べてみたいと夢見ていましたが、一度も叶わず、クリスマスは骨付きもも肉でした。
しかも、オーブンなんて洒落たものはなく、ガスコンロにもグリルは付いていなかった時代なので、フライパンで焼いていたと記憶しています。
それでも、肉の塊なんて滅多に食べられないので、子供にとっては大ご馳走でした。
あと、見たことも食べたこともなかったのが「ビフテキ」。
当時はテレビで米国のドラマが毎週何本も放映されていましたが、そこに出てくる分厚いビフテキ。
そもそもビーフなるものを食べたのは、前回も書きましたが、昭和40年代に入って中学生になってからでしたので、ビフテキの味が想像できないのです。
でも、母親は豚肉でビフテキもどきを作っては「テキ」と呼んでいました。
薄い豚肉でしたが、それでも「トンテキ」も大ご馳走でした。
もう一つ、子供の頃の大好物といえばバナナ。
ふだんは食べさせてもらえず、熱が出て寝込んだ時だけ病人の栄養食として食べることができました。
熱が出た時の子供の病人食はすりおろしリンゴと決まっていましたが、栄養補給としてバナナも許され、病人だけの特権でした。
一度、男三兄弟で小遣いを出し合い、母親に内緒でバナナを一房(6本?)買って、2本ずつ食べて大満足したことがありました。
それぐらいバナナも貴重なものでした。
食べることに夢があった古き良き時代。
肉を食べていなかったので、まだ癌が珍しい時代でもありました。