プレマシャンティ開発チームの花井です。
昭和30年代の子供の頃、大正12年生まれの母から、「神も仏もいないよ」と何度も言われて育ちました。
終戦前の昭和20年8月に母の父親と弟が赤痢にかかり、ペニシリンを求めて、物々交換用に着物を持って町中を探し歩いても手に入らず、二人とも亡くなったそうですが、その経験から「神も仏もいない」となったのでしょう。
そのせいか、父方も母方も墓参りに行ったことは一度もありませんし、場所も知りません。
家には神棚もなかったし、初詣も行かなかったし、宗教的行事は何一つありませんでした。
レイテ沖で海軍の弟を亡くした大正7年生まれの父からも戦争の話は一切なく、古希の年に「之が私の戦争だった」という30ページほどの手記を出して、初めて父親の戦争体験を知りました。
憲兵隊としてボルネオで諜報活動をしていて、終戦後は捕虜収容所から刑務所に移り、昭和22年末に復員したという体験記でしたが、その中で、父はこんなことを書いていました。
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生還して平和ほど尊く有難いものはないと身にしみて感じ続けている。
この平和を永遠のものにし、
人が人を殺しあう非常な争いを二度と繰り返させない努力が生還者の務めであり、
還り得なかった人達への最大の供養であると信じて止まない。
特定のイデオロギーに組しようとは思わないし、
かつて東憲誌上に記された海原治氏の
勝たなくてもよい、負けないだけの軍備説には大いに共鳴するが、
若し純粋な反戦反核運動があったら、
私はその人達と余生を共に歩きたい。
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父親のこの体験を、子や孫達にしっかりと語り継いでいかなければいけないと痛感しましたが、伝えきることはできないので、この手記を読ませることにします。
戦前、戦中、戦後と、マクロビオティックを通して、健康と幸福への道、平和と自由の原理を世界中に広めようとした桜沢如一先生の数々の著書を、改めて読み返してみます。