プレマシャンティ開発チームの花井です。
戦後10年経った昭和30年生まれですが、物心がついた頃、戦争は遙か遠い昔の出来事といったイメージでした。
高度経済成長期の真っ只中でしたし、両親から戦争のことはほとんど聞かされずに育ったため、戦争はテレビで見るものでした。
ただ、生まれ育った愛知県豊橋市は空襲で市街地が焼けてしまったため、焼け野原の空き地がたくさんあり、子供の遊び場になっていました。
廃材はたくさんあったので、雨に濡れないような秘密基地を造って近所の仲の良い友達と過ごすことがありました。
一緒にマンガ本を読むことが多かったと記憶していますが、焼け野原で薬莢や砲弾を拾ってきては秘密基地に集めていました。
不発弾もあったかもしれず、危険な基地でした。
歩いて10分ぐらいの豊川用水沿いの吉田城のお堀には防空壕が残っていましたが、中は真っ暗で怖くて入れませんでした。
豊橋駅前では白装束の傷痍軍人が物乞いをしていましたが、いつも母親は「働けばいいのに!」と小声で文句を言っていました。
いま考えれば、昭和30年代は、まだまだ戦後のドサクサの時代でした。
まもなく古希を迎えますが、戦後80年間、日本が平和であることに感謝しかありません。
ただ、世界に目を向けると、各地で戦争は続いています。
平和よりも戦争が儲かる仕組みができているのですね。
桜沢如一氏がマクロビオティックを通して世界中に広めようとした「健康と幸福への道」、「平和と自由の原理」は、どれも儲からず、権力者達からは歓迎されなかったのでしょう。
病気よりも健康、不幸よりも幸福、戦争よりも平和、不自由よりも自由、が儲かるような仕組み作りはできないものでしょうか?