プレマシャンティ開発チームの花井です。
父親も母親も、普段はお酒を一滴も飲まなかったのですが、小学生の頃、確か一夏だけ父親がビールの小瓶で毎日晩酌していたことがありました。
子供は陽性なので、陰性なビールが飲みたくて飲みたくて仕方ありません。
父親におねだりすると、コップに1㎝ぐらいついで飲ませてくれたことが何回かありました。
でも、1㎝だけだと余計に飲みたくなるのに、それ以上は飲ませてもらえませんでした。
そんな頃、小学5年生で鼓笛隊に入り、顧問の音楽の先生が宿直当番で宿直室に泊まった時、先生に呼ばれて一人で遊びに行ったところ、先生は宿直室でビールを飲んでいて、おねだりすると、なんとコップにナミナミ一杯ついでいただいたのです。
一気飲みしたところ、美味しくて美味しくて・・・
今、こんなことがバレたら先生はクビになるどころか、犯罪者になってしまうのかもしれませんが、当時はお手本となるべき先生からこうでしたから、いかにお酒に寛容な時代だったかがわかります。
その後、中学ではお酒を飲んだ記憶はありませんが、高校に入って、2年生の夏休みにクラス全員で1泊2日のキャンプに出かけ、バンガローで先生も一緒になってビールや日本酒をがぶ飲みして、真っ先に先生がベロンベロンに酔い潰れていた楽しい思い出があります。
先生の弱みを握ったということもあって、当時よく友達の家に一升瓶を持ち込んではラッパ飲みしたものです。
同じく高校2年の時、土曜日の学校帰りに近くに住む同級生の家に遊びに行くと、決まってお酒を振る舞ってくれるお母さんがいました。
いつも熱燗をご馳走していただくのですが、ツマミまで作ってくれていて、家では食べたことのないテッサ(フグ)や手作りの餃子を出していただきました。
このお母さんも今だったら大問題になるところですが、当時は「理解ある優しいお母さん」でした。
ちなみに、花井家は両親とも飲みませんが、父方も母方も祖父は大酒飲みだったようなので、酒好きは隔世遺伝みたいです。
学生の頃、日本CI協会の大森英櫻先生の講義で、
「酒を飲むんだったら新鮮な魚でも食っておけ!」
と言われ、今でも忠実にその教えを守っています(笑)。