プレマシャンティ開拓チーム 横山です。
麺が好きな家庭で育ったせいか、麺が毎日続いても嫌ではありません。中華麺やパスタ、うどん、そうめん、そばと、その日の気分にあわせて麺を選び、具材の組み合わせを工夫するだけで、どんどん世界が広がるのも麺料理が好きな理由のひとつです。
私にとって、麺と米飯はどこか似ています。
湯がき方、炊き方ひとつで、身体の調子にあわせられるところや。疲れたときやお腹がペコペコな時に、ありあわせの具材でささっと料理ができるところは、とても良く似ています。それ以上に、ゆがいただけ、炊いただけで美味しくなければ、一緒に提供するおかずや具材をどれだけ工夫しても、料理全部が残念な印象になってしまうところはそっくりです。美味しい麺も、おいしい米と同じく、海塩を少しつけて頂くだけで甘みがあり、噛んでうま味がでてきます。ゴマ塩だけ、梅干しだけでも、甘みとうま味を感じる麺が本当に美味しい麺だと思います。
プレマシャンティの手延べ讃岐うどんは、「ながら」調理でも、もちっ、ぷりっとゆであがるうどんです。口に含んだ瞬間はあっさりとした味わいのように感じるのに、噛めば噛むほど甘みが出てくるのもお気に入り。オーストラリアやアメリカ産の小麦に比べて、国産小麦は甘みがあるのか、それとも製麺の行程で熟成をするからか、甘みやコクが複雑に絡み合って、噛めばその分、奥からうま味が湧き上がってくるようなうどんです。現在の製法は「手延べ」といっても、練りやのばしの作業は機械の力を借りています。機械の力を借りるといっても、粉を入れてボタンを押したら出来上がりというわけではありません。
粉に入れる塩や水の量は、季節や天気にあわせて人が判断するものですし、練る、のばすなどの工程の合間ごとにひとの目と手が入ります。嗅覚で香りをかぎ分けながら粉を捏ね、いたぎ、こなし、かけば、こびき、箸分け・・・と都度手を加えながら仕上げる麺は、昔からのつくり方に極力近づけようと機械をつくりあげた技術者と、讃岐のうどんづくりと味を忠実に後世に伝えようとする職人の想いが合わさり生まれたものです。丁寧にものづくりをするひとたち、美味しさを伝えたいとものづくりをするひとたちの作品には、食感といい、味といい、その姿勢が隅々にまで表現されているようです。
讃岐うどんの故郷、讃岐地方。現在の香川県に該当するこの地域では、小豆島の醤油と海塩、瀬戸内でとれる小魚、良質の小麦が手に入ったといいます。江戸時代にもさかのぼるうどんの歴史は、今でいう地産地消に支えられ、時には米作が困難だったこの地域にとっては、非常食や保存食の役割も果たしながら今に続いています。讃岐地方に暮らす方々にとってのうどんもまた、ある意味、米と似ているのかもしれません。