プレマシャンティ開拓チーム 横山です。子供の頃、色のついたソーセージやプチトマト、カラフルなかまぼこの入ったお弁当や、生野菜やマヨネーズのサラダを挟んだサンドイッチに憧れました。なぜって、私のお弁当はいつも「冬景色」だったからです。根菜の煮つけ、きんぴらごぼう、卯の花(おからの煮つけ)に、昆布のつくだ煮。せいぜい人参のオレンジだけが色目をもったお弁当は、子どもの目にはとてもとても悲しかった覚えがあります。中でもつくだ煮が入ったお弁当は、本当に悲惨でした。うすーく開いた隙間からお箸を入れて、蓋の裏側にくっついた昆布を取り除いてからでないと食べ始められませんでした。
今でこそ、しっかり火をとおし、味付けも濃く仕上げた惣菜は、手間暇もかかり、傷みにくくて味も安定するお弁当の最良の友でもあると知っています。暑い時期でも体調を崩したり、悲しい辛い思いをしたりしないようにと、保存性も栄養価も高く、冷めても美味しく頂けるおかずをたくさん詰めてくれた作り手の愛情なのだとわかります。なかでもつくだ煮は、地味な姿であるにも関わらず、全体の味をきゅっと締めてまとめるお弁当のかなめだとも思います。三つ子の魂ではないけれど、一時期は見たくもなかったつくだ煮は、今はおにぎりの芯に欠かせない存在です。昆布や小魚・くるみなど、食感と味のアクセントになるうえに、おにぎりだけで十分幸せになれる秘密のエッセンスだと思っています。
塩や醤油、時にはみりんや砂糖を加えて甘辛く煮詰めたつくだ煮は、野菜や貝などを天日に干したり、塩につけたりし、生の食材を保存しようと工夫してきた先人たちの知恵のひとつです。関西に住まうと、昆布のつくだ煮が目立ちます。「いかなごのくぎ煮」と呼ばれるつくだ煮は、阪神・淡路地域ではかかせない家庭の味です。冬の終わり頃「いかなご」漁(関東では小女子(コウナゴ))が解禁されると同時に、醤油を煮詰める甘辛い香りが充満し始めると、「ああ、春が来るのだなあ」と実感します。あまりにも身近に感じるのでつくだ煮は関西のものだと思っていたら、歴史を辿るとどうやら「つくだ煮」としての発祥は江戸。漁師が非常時の保存食として、また漁の間の食糧としてつくっていたものが、江戸庶民に広がり、そこから全国にひろまったと云われています。今でも浅草や日本橋には、昔ながらの江戸前のつくだ煮のつくり手は多いのですが、残念ながら【低塩】や【うす味】という嗜好の変化や、販売範囲の拡大や大量生産という環境の変化を受けて、昔ながらのつくだ煮をつくる作り手は限られています。この昔ながらのつくだ煮を、鉄鍋で時間をかけて煮詰めるとなると更に希少で、昔ながらの調味料を使ってつくり続けてきた作り手を探すと数軒しか残っていません。
昔は職人たちとともに暮らし、江戸の伝統に沿ってつくだ煮をつくり、その味を伝え続けてきた「遠忠食品」のつくる佃煮は、社長自らが目利きになり、農家や漁師と話をしながら仕入れてきた原料を、本醸造の醤油やみりんなどの調味料などを直火の鉄鍋で煮詰めています。日々変わる気温や湿度、素材の状態にあわせ、微妙な火加減が欠かせない直火釜は、醤油の香ばしさを素材にのせ、ふっくら仕上げることができるおいしさの原点です。夏場の作業場は、蒸し暑くサウナなんて甘いといいたくなるような高温になります。操作が容易で生産効率の高いスチーム蒸気釜が主流となった今も、昔ながらの直火釜で職人の勘と経験に任せた創業以来の製法を引き継いでいるのは、子供のころ慣れ親しんだ醤油の香ばしい香りや真っ正直に食品と向かい合う職人の姿が、社長のものづくりの原風景にあるからかもしれません。
果実に甘みを加えて保存する知恵を欧米に習った日本。今度は欧米が、塩や醤油を加え、海産物や野菜などを甘辛く煮たつくだ煮を日本から習っています。のりや昆布のつくだ煮は、パンやスティック野菜のお供に、時にはドレッシングの具材として、使われていたりもします。直火でしっかりと煮含めた江戸前のつくだ煮は、お酢や油とあわせてた洋風のアレンジにもしなやかに寄り添いながら、味の軸となっておいしさを届けてくれます。