高校時代はワケも分からず母親が炊いた玄米ご飯をせっせと食べていましたが、1974年4月に大学進学で上京し、一人暮らしが始まりました。
初めは、大家さんと同じ玄関で2階に四畳半の部屋が5部屋ぐらいある昔ながらの下宿屋でした。
洗面所は2階にもありましたが、トイレは1階で大家さんと共同、もちろん炊事はできません。
電気コンロとフライパンとトースターを買い、目玉焼きとトーストぐらいはできましたが、ほとんど学生食堂か近くの定食屋で外食していました。
すると、高校時代にベスト体重が52kgだったのが、あれよあれよという間に上京3ヶ月で45㎏まで落ちてしまいました。
生活が不規則になったこと、一日ほぼ二食になったこと、外食、酒、煙草、運動不足などが原因のようでした。
これではいけないと半年で下宿を抜け出し、炊事ができるアパートに引っ越しました。
トイレは共同ですが、四畳半に小さい流し台がついているので一口コンロで煮炊きできました。
マクロビオティックは陰だ陽だと難しそうだったので、初めは森下敬一先生の本でまずは自然食入門。
圧力鍋を買って玄米食を始めましたが、外食では肉も食べるユルユルの玄米自然食でした。
玄米おにぎりを大学に持って行くこともありましたが、通学途中の渋谷駅近くに自然食品センター本店とレストラン天味があったので、自然食品の買い物をしたり、たまにレストランで玄米定食や天ぷら蕎麦をいただきました。
桜沢先生の高弟の小林類蔵先生が社長、小川みち先生がレストランを仕切っておられ、みち先生はよくレストランの客に食べ方や噛み方を厳しく指導されていました。
マクロビオティックに深入りしたのは、日本CI協会が1976年に渋谷区大山町の4階建てのビルに移転してからのこと。
それからガチガチのマクロビオティック生活が始まるのです(笑)。