商品開発チーム 横山です。
徳島県にある光食品さんにお邪魔する機会を頂きました。
「ヒカリさんに行きたいです」と云い続けたからなのか、
それとも、「ご縁がありますように」と願い続けたからなのか。
「プレマシャンティが素晴らしい協力者に恵まれているから」が、
恐らく一番の理由ですが、きっといつかと願い続けていた
光食品さんとのご縁が初めてつながりました。
光食品株式会社をご存知でしょうか。
「知らない訳がない!」とおっしゃる方がほとんどかもしれません。
クエスチョンマークが飛んだ方でも、「ヒカリ」と書くか、
「HIKARI」と書くと、おわかりかもしれません。
オーサワやムソーはもちろん、「原料にまで配慮した」食品には、
必ずといってもいいくらい光食品が製造した商品が含まれているので、
気が付かないうちに口にされている方も少なくないでしょう。
合成添加物のないピザソース。
有機栽培100%のミックス野菜ジュースやにんじんジュース。
有機のトマトピューレ。
「ヒカリ」の商品は、私にとっては、生活に欠かせない品ばかりで、
光食品株式会社は、長くあこがれの製造者でした。
けれども、同時に「有機食品製造の老舗」過ぎて、恐れ多くて
簡単にはご訪問できない会社のひとつでもありました。
老舗なだけではありません。
経営者の考えが、隅々まで行きわたった精鋭集団でもあります。
化学市場がどんどん拡大し、農業資材も食品添加物も、
次から次に新しい商品が生まれ、「消費」されていた時代、
食品に、化学合成添加物を入れないなんて有りえないと、
日本の多くのひとたちが考えていた時代に、光食品株式会社は、
「合成添加物」不使用ソースの製造・発売に踏み切りました。
今からおよそ半世紀も前、1964年のお話です。
そしてその約10年後、1977年には、日本で全く初めて、
有機原料を使った商品を開発し、発売するようになりました。
日本で有機JAS法が始まったのは、2001年ですから、
まだまだ「有機」という概念も統一されていない時代です。
今でこそ、調べ物はインターネットで簡単に済みます。
しかし、光食品さんが、有機原料を使い始めた当時には、
生産者ひとり、原料ひとつを探すのも、知人を頼り、
紹介者が居なければどうしようもなかったといいます。
「化学合成資材を使わずに農業をする」というと、
周囲から変人扱いされ、村八分にされていたような時代です。
生産者はなかなか、表に出ては来なかったでしょうから、
探すのは、本当に一苦労です。
「先代が街で偶然、戦友に出会ってね」
その戦友が、たまたま自然農法の実践者で、
たまたまその地域で顔が広く、たまたままとめ役で。。。
数々の偶然が重なって、国産の「有機」農産物を
原料に使えるようになったと島田社長は云われます。
けれども、それだけではありません。
食品展示会のために片道切符で渡米した後、
有機のトマトを求めて、全米のトマト加工メーカーと、
その生産者を訪ねて歩いたのだと云われます。
そして、その時に見つけた加工業者が、今もまだ、
「ヒカリ」のトマト商品を支えているのだそうです。
彼らは近年、農園を運営し、有機栽培に取り組んでいます。
四国は自社で、北海道は地元の協力を得て、
トマトを栽培し、加工し、商品に使っています。
トマトの収穫期は、わずか2週間ほどです。
その短期間に、効率的に収穫しなければなりません。
また鮮度が高いうちに、年間とおして使えるよう
加工しなければなりません。
より効率的に収穫が出来るように、収穫機械を。
より鮮度が高いうちに加工できるよう、加工場を。
今の取り組みと、これからやりたい事を話される姿は、
本当に生き生きとして、とても楽しそうに見えました。
光食品株式会社の社是は、
「良い食品をつくり、社会に貢献する」こと。
その社是のとおりに、21世紀に入って立ち上がった新工場は、
熱源は重油ではなく、全てLPガスです。
工場内で使われた水は、全て自社の排水処理場で処理され、
微生物によって、「飲める」くらいまで浄化されます。
野菜の皮などのごみは、堆肥として新しい役目を得ます。
そして今は、必要な電力をまかなえるよう、
太陽光発電にも注力されています。
今と未来を同時に見ておられる島田社長の取り組みは、
時間はかかるけれど、少しでも多くの有機加工品が
少しでも手に入りやすくなるよう変えていくには、
原点を考える必要があるのだと、そして、
ひとりでも多くを巻き込んで動く必要があるのだと、
教えて頂いた気がします。