マクロビオティックと出会った40年前の学生時代、マクロビオティックをどのように理解していたか記憶をたどろうとしたのですが、記憶というものはいい加減なもので、都合のいいように変えてしまうことがあるのです。
当時、西荻窪の「ほびっと村」の仲間が「やさしいかくめい」という本を出版することになり(初版1978年7月)、大森英桜先生のインタビューとマクロビオティックについての原稿執筆依頼がありました。
いい機会なので、全文を掲載させていただき、学生時代のマクロビオティック観をご紹介します。
タイトル:環境を食べる
サブタイトル:マクロビオティックの宇宙
【本当の自然食とは】
栄養学の普及によって、今では誰でも食生活が健康を左右することを知っています。それは肉や牛乳などの動物性食品の摂取量が戦後著しく増加しているのを見てもはっきりしていますし、また特に子供や病人に対して栄養価の高いものを与えていることからも分かります。これは高蛋白・高カロリーを主張する現代栄養学によるものですが、栄養学の説くカロリー学説が本当に正しければ健康な人が増えて当然であるのに、実際は逆に病人の数が増え、医者は大はやりです。また食生活の洋風化に伴って病気の傾向も変化してきており、戦前は少なかった心臓病やガンが死亡率の上位に進出し、しかも若年化して欧米並みになりつつあります。そればかりか、生まれてから病気にかかるのではなく、生まれる以前からの病気―奇形児の出生が急に増えてきています。これらの事実は現代栄養学がどこか間違っていることを示しているのではないでしょうか。
このことに気づく人が徐々に増えた結果、現在では世界的に自然食ブームが起こっています。しかし同じ現象であっても、欧米では肉食の反動としての菜食であるのに対し、日本では食品添加物や農薬、工場排水等による食物の汚染から自然食ブームが引き起こされているようです。そして自然食品店が各地にでき、デパートでも自然食品コーナーを設けているところが多くなりました。ところが肝腎の“自然食”そのものの定義がはっきりしておらず、流派がいくつにも分かれているのが現状です。添加物や農薬を用いず、自然のものであれば何でもいいという考え方もあれば、酵素やクロレラなど強化食品としての考え方もあります。なかには金持ちでないと健康になれないような高価なものもあり、自然食が商品として金もうけの手段とされている面もあります。そして自然食、健康食と称してインチキ商品も数多く出回っているようです。
このような、いわゆる“自然食ブーム”は、病気に対する不安や健康になりたいという願いから来ているのでしょう。しかし果たして現在ブームになっている“自然食”によって、身心共に本当の健康が得られるでしょうか。単に食べ物だけが“自然”のものであっても、生活そのものが“不自然”であってはおかしいことになります。食べ物に感謝の気持ちを持たずにイライラしながら食べていたのでは、すでにそのこと自体が不健康だと言うことができます。ここで私たちは、“自然”とは何か、“健康”とは何か、という根本から考え直してみる必要があるのではないでしょうか。
人間をはじめとする全ての生物は、食あっての命であり、食物のないところに生命現象はありません。食べ物は口から入れ、消化吸収されて血液になり、それが細胞に変化して肉体をつくります。すなわち生物は皆、食べ物のオバケだと言うことができます。そしてその食べ物=植物(肉食動物も草食動物を食べることによって間接的に植物を食べています)もまた、日光、空気、水、土等、一切の環境によって育つもので、いわば環境のオバケです。結局、私たちが“食べる”ということは、単に口から食べものを入れるだけではなく、“環境”をとり入れることによってエネルギーが循環していることを意味します。言い換えれば、人間が食べ物を作るのではなく、食べ物(環境)が人間を作るということです。従って環境としての食べ物を正しくとれば健康になり、間違ってとれば病気になることが明らかになります。
このように正しい食べ物を正しくとって環境との調和をはかり、真の健康と幸福を確立する方法をマクロビオティック(正食)と言います。それは単なる“自然食”と異なり、人間にとっての正しい食べ物を、環境すなわち大自然との調和の中で見い出すことです。マクロビオティックは、基本的には中国から来た陰陽の考え方の上に成り立ち、しかもそれを更に発展させた宇宙観=生き方であり、言うなれば易の現代版です。その根本は、あらゆる現象を陰と陽に分類し、その関係によってものごとを理解するところにあります。陰性・陽性とは簡単に説明すると陰気なもの、陽気なものということで、陰性は遠心力、陽性は求心力に代表されるものです。これを応用して植物を陰陽に従って分類し、その人の体質の陰陽にあった正しい食べ物をとることによって、自然の中でのバランスを保つことができます。ここで注意すべき点は、陰陽とは絶対的なものではなく、相対的な判断であることと、この二つの働きは互いに対立しながら相互に依存しあい、陰は陽に、陽は陰によって生かされていることです。例えば男と女を比較した場合、男の方が陽性で女の方は陰性であると言えますが、男の中にもまた陰陽があり、女の中にも陰陽があるということです。しかも男と女は互いに反対の性質を持っていながら、別々に存在することはできず、相補うことによってはじめて調和がとれるわけです。
陰陽の対立相補性の原理は、大は宇宙から小は原子核の構造に至るまで、万物を支配しています。これは宇宙の秩序、大自然の法則とも言うべきもので、それに従って生きる人は健康で幸福になり、はずれれば病気や不幸になります。マクロビオティックはこの宇宙全体を貫く根本法則にのっとった人間本来の生き方のことで、玄米正食をその基本としています。具体的には①身土不二②一物全体③穀物を主食とする④肉食をしない ということが大前提となります。
【正食の根拠】
身土不二とは、その土地に産するものを、その季節に食べることを言い、環境を正しくとり入れることによって陰陽のバランスを保つことです。ビニールハウス等の季節はずれのものや遠方で出来たものは自然の法則に反するものです。一物全体とは、精白したり一部分だけをとり出したりせず、全体を食べることです。すべての生物はそれ自体バランスのとれた状態にあり、それを部分的に食べることは陰陽の調和を乱すことになってしまうからです。玄米は一株の稲を生み出す強い生命力を持っていますが、白米は一番大切な部分を捨てた残りで、読んで字のごとく粕(かす)にすぎません。
現代栄養学はカロリーを大切にするだけで、食べ物の持つ生命力や陰陽による全体のバランスについては全く無知と言えます。仮に全人類が正食を実行すれば、食糧は十分に足りて食糧危機の心配もなくなります。ところが栄養学の説くように動物蛋白を全人類がとったら、世界中の動物は一瞬にしていなくなってしまいます。これは白人が考え出した主観的なものにすぎず、経済学的に見ても不可能なことなのです。また戦争の原因をつきつめれば食糧問題に帰することを考えると、政治的にも不合理であることがわかります。さらに栄養学では一日に脂肪やでんぷんを何カロリーとれと言いますが、同じ脂肪やでんぷんでもいろんな種類があり、分子の大きさも陰陽の働きも異なっているわけで、現代栄養学は科学の名に価しないと言っても言いすぎではないでしょう。
また生物の発生学的見地からも、正食が正しいことがわかります。地球の歴史を見ると、動物よりも先に植物が発生・変化しており動物は食料とする植物と共に変化しています。人間は穀物をとり、火食を始めてから大脳の重さが倍になり、“考える(神がえる)”という働きを持ち、文化や社会を生み出して現在に至っているわけです。穀物とは実がすなわち種であり、その中には根・茎・葉・花の成分が全て含まれている完全無欠な植物です。これを食べた人間は、ほとんど神に近い判断力を持つようになったのです。野生動物は部分的に、葉なら葉、茎なら茎だけしか食べないためにアンバランスになり、人間のような高い判断力は持っていません。また歯の形も食べ物によって決定されますが、臼歯を持つ人間は穀物食に適していることを示しています。
次に、現代の生理学では、赤血球の寿命は120日あり、しかも全身の血液が入れかわるのに10日かかると言っています。ものを食べるというのは血液を造るためですから、生理学の説くところに従えば、少なくとも3ヶ月は水分の補給だけで何も食べなくてもいいことになります。ところが一方の栄養学では毎日何千カロリーとらなければならないと言っており、生理学と矛盾しています。しかしこれはどちらも間違いではありません。というのは、栄養学では毎日肉や砂糖を食べるのを前提にしていますが、砂糖は極陰性のため、たった0.5%のうすい砂糖溶液をかけるだけで赤血球は崩壊してしまいます。つまり一方で血液を造るものを食べ、もう一方で消すものを食べているために、毎日せっせと食べなければならなくなっているわけです。正食によって造られた血液の寿命を調べた人はまだいませんが、大森さん自身、一ヶ月の断食を何度か経験し、また子供たちも自発的に一ヶ月の断食をしています。また玄米で造られた血液はきれいで濃いために、当然睡眠時間も短くなります。大森さんの現在の睡眠時間は平均3時間だそうですが、一ヶ月間一睡もしない体験も持っており、信じられない人には証人もたくさんいるとのことです。
【食べることは生きること】
以上のように、宇宙法則を根拠としている正食は、生理学的、生物学的、経済学的な見地からも理にかなっていると言えます。人間も本来は他の野生動物と同じように健康、自由、平和、幸福が自然な状態であり、もしそうでないとすれば、どこか生き方が間違っているはずです。病気はその間違いを教えてくれる警告ですから、それを誰かに治してもらうのではなく、自ら間違いに気づき、治すのでなくてはなりません。もし直接に肉体を養っている食物が間違っていれば、他のどんな努力も最終的な解決法とはならないでしょう。西洋医学はむろんのこと、東洋医学でも食物を無視したものは、対症療法にすぎないと言われてもしかたないのです。
しかし何よりも大切なことは、正食によって健康になってから何をするかということです。このことについては、インタビューの中で大森さんが十分に語っていますが、正食とは単に食べ物を正しくとって健康な体を保つだけではなく、環境との正しい関わり方、すなわち健康で幸福で自由な生き方を確立する方法です。でも他のあらゆる道と同じように、正食も頭で理解しただけでは何にもならず、実際にやってみなければ分かりません。もし一週間でも正しく実行すれば、きっと大自然の不思議を体で感じることでしょう。今まで知らなかった広く大きな世界を、体全体で知ることができると思います。
一般的に無農薬の玄米や野菜、調味料は手に入りにくく、高価なイメージがありますが、正食は実際には決して高くつくものではありません。一日1000カロリー以下で十分に生活でき、経済的にも月に6000円程度の食費ですみます。都会に住んでいると不必要な欲望のためにお金をむだ使いしてしまいがちですが、自分の生命の元となる食べ物にこそお金をかけるという、本当の意味でぜいたくな生き方をしてみてはどうでしょうか。