「 今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話 」 一覧
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2018/10/19 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
自然食若いのにモンペをはいて庭を耕して野菜を育てたり、圧力鍋でシュッシュッシュッシュと玄米ご飯を炊いたり、産婆さんも呼ばずに自宅出産したりと、近所では変わり者扱いされていましたが、お向かいに住む7、8歳年上 …
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2018/10/12 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
《女の側から》 生まれたての赤ん坊は別世界から来たようで、近寄り難い感じがしました。 ここ5ヶ月あまりで人間の仲間らしくなり、お互い新しい存在に少しは慣れてきたようです。 妊娠初期は夫と一緒に“生存へ …
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2018/10/05 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
昭和55年2月19日に長男が誕生しました。 その時のことをオーサワジャパン発行の「カムカム通信」に投稿していますので、そのまま掲載します。 《陽輔誕生》 昭和55年2月19日午前2時半、予定日より2週 …
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2018/09/28 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
「生存への行進」を途中で抜けて、急遽、就職先(オーサワジャパン)を決め、新居(東京都町田市)も決め、双方の実家(愛知県と福岡県)に挨拶に行き、神戸で親兄弟だけの顔見せ会を開き、入籍したのが24歳になっ …
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2018/09/21 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
マクロビオティックマクロビオティックを始めた学生時代、一人暮らしなので家では圧力鍋で炊いた玄米ご飯と昆布出汁の味噌汁に古漬け沢庵、おかずは冷蔵庫で日持ちする金平ごぼう、ひじき蓮根、ねぎ味噌といった陽性な基本食ばかりでし …
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2018/09/18 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
玄米盆と正月が一緒に来たように、就職、結婚、出産がいっぺんにやってきました。 昭和54年9月にオーサワジャパンに就職し、10月に入籍。 オーサワジャパンでは卸や通販の出荷を担当させていただきましたが、今の …
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2018/09/07 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
青森県警にお出迎えいただいて本州入りした行進団。 沖縄まで歩いて、そのあとは30歳ぐらいまでブラブラしようかなぁと漠然と考えていたところ、そんな悠長なことを言っていられない状況になってしまいました。 …
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2018/08/31 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
マクロビオティック昭和54年5月2日、行進団は北海道日高郡静内町のシャクシャイン記念館でカムイノミの儀式をしていただき、翌3日、高校生から50代までの男女22名で歩き始めました。 一日30~40kmをバックパックを背負 …
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2018/08/27 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
マクロビオティック昭和53年(1978年)、大学4年生の時に、反原発、有機農業、自然海塩、マクロビオティック等を広めるために北海道から沖縄まで歩こうというイベントの企画が始まりました。 名付けて「生存への行進」。 言い …
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2018/08/18 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
大学4年のある日、突然電話がかかってきて、 「今から出産するけど、見に来ない?」 電話の主は長兄・花井陽光の親友のNさんでした。 長兄が東京にいる時、東小金井で「ゴキブリ村」というマクロビオティック系 …
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2018/08/13 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
マクロビオティックとはあまり関係ありませんが、学生時代、日本CI協会、ほびっと村と並んで頻繁に出入りしていたのがヤマギシ会でした。 一説によると、創始者の山岸巳代蔵氏とマクロビオティック提唱者の桜沢如 …
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2018/08/03 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
これまでに何度も「ほびっと村」が登場しましたが、あらためてほびっと村に出入りするようになったきっかけをお話します。 マクロビオティックを始めた二十歳の頃、渋谷の青山学院大学の裏にあったマクロビオティッ …
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2018/07/27 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
昭和53年2月に日本CI協会で東京芸術大学教授の三木成夫先生(医学博士、解剖学者)」の講演会が開かれました。 まったく聞いたことのない先生だったので参加しなかったのですが、とても評判がよかったようで、 …
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2018/07/20 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
マクロビオティック日本CI協会には、桜沢如一先生と桜沢里真先生、大森英桜先生という三大スターがいらっしゃいました。 マクロビオティック提唱者の桜沢如一先生は昭和41年にお亡くなりになられていますので、残念ながらお会いし …
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2018/07/17 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
学生時代、玄米ご飯は噛む癖がついていて一口200回ぐらい噛んでいたので自然に少食になるのですが、分搗き米や白米、パン、麺だと、とたんに大食いになってしまいました。 玄米ご飯は臼歯でしっかり噛めるし、噛 …
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2018/07/09 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
学生時代、日本CI協会で大森英桜先生の2泊3日の勉強会に参加していると、CIの陽性な料理を何食も食べ続けるので、たいてい2日目か3日目に足の裏からくさいにおいを発するようになります。 特に右足のにおい …
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2018/07/03 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
高校時代のベスト体重は52kg。 親元で一日三食、規則正しい生活をしていたので、痩せることはありませんでした。 最高で55kgまで太ったことがありますが、身体が重く、体育の授業で動きが鈍くなりました。 …
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2018/06/22 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
前々回にお話ししたとおり、玄米ご飯とゴマ塩だけの七号食を始めて3日目に右目が霞んで見えなくなり、正食医学の第一人者である大森英桜先生の指導により野菜スープを飲んで、すぐに改善したのですが、七号食をやめ …
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2018/06/18 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
花井良平マクロビオティックと出会った40年前の学生時代、マクロビオティックをどのように理解していたか記憶をたどろうとしたのですが、記憶というものはいい加減なもので、都合のいいように変えてしまうこ …
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2018/06/11 -今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話
マクロビオティック食事法では主食と副食の割合によって10段階あり、主食=穀物100%の食事を「七号食」と言い、海外では「№7(ナンバーセブン)」と呼ばれています。 七号食から三号食までは植物性100% …