プレマシャンティ開発チームの花井です。
前回、高校3年生の時に長兄が実家に玄米食を持ち込んだことを書きましたが、長兄から「玄米食にすると精力がつく」と聞かされた母親が、「お父さん、最近、強くなったみたい」と嬉しそうに話すのを横で見ていて照れくさかったことを覚えています。
昭和49年に大学進学で上京し、世田谷の奥沢にあった昔ながらの下宿屋に住みました。
大家さんと玄関もトイレも一緒で、料理をすることができないので外食ばかりでしたが、息苦しくなって9月に杉並区高井戸東(最寄り駅は井の頭線の浜田山)のガス・水道付きの四畳半のアパートに引っ越しました。
トイレは共同でしたが、2階の東南向きの角部屋で快適でした。
歩いて5分ぐらいのところに銭湯とコインランドリーもあり、卒業まで住み続けました。
昭和50年?に日本CI協会とオーサワジャパンが中野ブロードウェイから、小田急線の東北沢の4階建てのビルに移転し、浜田山から下北沢で一回乗り換えて20分ちょっとで行けたので、ちょくちょく出入りするようになり、桜沢如一先生の本を買って読み始めたのですが、当初は全くチンプンカンプンでした。
そこで、渋谷の自然食品センター本店(レストラン「天味」併設)で、「国際自然医学会」会長・「お茶の水クリニック」院長の森下敬一先生の本を買って読んだところ、自然食のことがわかりやすく書かれていて、桜沢先生の本も読めるようになりました。
大学2年の9月に、長兄にも勧められて「ヤマギシ会」(当時は「山岸会」)の日光会場(栃木県)で一週間の「特別講習研鑽会」(略して「特講」)を受講しました。
中学2年から始めたフォークバンドで何曲も歌った「フォークの神様」の岡林信康も特講を受け、その感想文とも言われる2曲が「俺らいちぬけた」と「申し訳ないが気分がいい」でしたので、何の抵抗もなく受講しました。
大学3年の春に三重県の本部まで行って2週間の「研鑽学校」を受け、その年の夏に開催された「子供楽園村」にスタッフとして参加し、「幸福学園」運動の提唱者である新島淳良氏とも親しくさせていただきました。
山岸会の考え方と桜沢先生のマクロビオティックとは、あまり共通点はありませんでしたが、常に「本当はどうか?」と問い直す癖がついたのは良かったのではないかと考えています。
学生時代に桜沢先生の著書を10数冊読みましたが、「本当はどうか?」のおかげで盲信することなく、そこそこ理解できたのではないでしょうか。
「本当はどうか?」と問い直すこと、これ大切なことですね。(続く)
