プレマシャンティ開発チームの花井です。
このブログのタイトルが「今だから話せる、花井良平のマクロビオティックこぼれ話」なので、マクロビオティックとの出会いについて書いてみます。
6歳上の長兄、3歳上の次兄の男三兄弟ですが、高校3年生の時、愛知県豊橋市の実家に長兄が玄米食を持ち込んだのがマクロビオティックとの出会いでした。
まだマクロビオティックのマの字もわからない頃で、ただ玄米が身体に良さそうだ、というレベルで母親が主食を白米から玄米に切り替えたのが出会いの始まり。
時々、東京から帰省する長兄からマクロビオティックの話を聞かされるのですが、陰だ陽だとチンプンカンプンな話ばかりでした。
「お前は陰性だから北(東京)へ行かない方がいい」などと、とんでもない陰陽話をされたこともありました。
当時、長兄は日大全共闘(に入っていたかどうか定かではありませんが)を抜けて大学を中退し、ヒッピー的な生活を始めた、いわゆる「学生運動くずれ」でした。
中央線の東小金井で、共同生活ではありませんが、数名のヒッピー仲間と近所で暮らしながら玄米食をしていました。
高校3年の冬、大学受験で長兄の四畳半のアパートに泊まって何校か受けましたが、結果は3勝3敗。
玄米を食べさせられたかどうか覚えていませんが、長髪のヒッピー仲間が出入りしていたことは覚えています。
その1、2ヶ月後に東京での学生生活が始まったのですが、行き違いに長兄は長野県飯田市に移住して、障害者の施設で働きながら畑を借りて農業のマネゴトをしていました。
そんな長兄から、「中野ブロードウェイの日本CI協会に行って〇〇君を訪ねるように」と言われて行くも、編集長から「〇〇君はインドに行っちゃったよ」と言われ、会えずじまいでした。
そんなこんなで、すぐにはマクロビオティックとは縁が持てませんでしたが、日本CI協会が中野から小田急線の東北沢の4階建てのビルに移ってからは、電車で20分ぐらいの井の頭線の浜田山に住んでいたこともあって、桜沢里真会長の料理教室に参加し、大森英桜先生の正食医学講座を受講するようになって、マクロビオティックにのめり込むことになったのです。
通学途中の渋谷に「自然食品センター本店 レストラン天味」があったり、マクロビオティック・ロック喫茶「地球の子供たち」があったりと、マクロビオティックを実践するには、とってもいい環境でした。
ちょうど50年前のことですが、続きは次回。
