プレマシャンティ開発チームの花井です。
前回の「その3」に、なぜか書かれていませんでしたが、学生時代の衝撃的な出会いが東京芸大の三木成夫先生でした。
大学3年の頃だったか、日本CI協会で解剖学者・発生学者の三木成夫先生の講演会があり、当時まったく存じ上げなかったので参加しなかったのですが、超人気だったようで、満席で入れなかった知り合いの女性から、
「花井君、三木先生を『ほびっと村』に呼んでよ~。」
と頼まれ、三木先生って誰?というレベルだったのですが、根負けしてお呼びすることになり、CIの担当者から先生の連絡先を聞き、芸大の研究室に電話をしてみました。
すると先生から、
「君、容姿は?」
と訊かれるので、
「腰まで伸ばした長髪です」
と答えると、
「じゃあ、芸大生と間違えられるので守衛から呼び止められることはないだろう。一度、研究室に来なさい。」
と言われ、先生の研究室に伺うことになりました。
後日、研究室に伺うと、まず目に入ったのが胎児のホルマリン漬け。
1ヶ月は1㎝、2ヶ月は3㎝、3ヶ月は10㎝ぐらいですが、3ヶ月になるとハッキリ人体とわかり、とても神秘的でした。
提携している病院から堕胎の連絡が入ると、すっ飛んで行って生きている内に持ち帰るそうで、「因果な仕事だよ」とおっしゃっていました。
ほびっと村の講演を受ける条件として、
「一度でいいから上野の芸人のように一杯ひっかけて話がしたいんだが、いいか?」
と訊かれるので、
「いいですよ」
と答えると、
「よし、決まった!飯でも食いに行こう」
と芸大近くの老舗らしい鰻屋さんに連れて行かれ、鰻重をご馳走になりました。
当時、動物性を一切摂らないガチガチのマクロビオティックだったのですが、断るわけにもいかず、しぶしぶ、でも美味しくいただきました(笑)。
講演当日、先生は真っ赤な顔をして上機嫌で西荻窪の「ほびっと村」に来られ、名調子で2時間ほどお話いただきました。
その後だったか、三鷹市に住む長兄の親友から、
「今からお産が始まるけど、見に来ないか?」
となぜか誘われ、住んでいた井の頭線の浜田山から中央線の三鷹まで電車で伺いました。
到着すると、当時「ほびっと村」で「産婆の学校」の講師をされていた三森孔子先生と助手のキクさんが取り上げられているところで、部外者は一人だけ。
初めて見るお産は、ごく自然な神聖な営みでした。
そんなこともあって、その後、結婚して3人の子供を産婆さんも呼ばずに自宅出産したのは当然の成り行きでした。
オーサワジャパンに入社した翌年の1980年の夏、伊豆大島で開催された「海の精」のイベントに参加するため、熱海から大島行きの船に乗ったところ、たまたま甲板に演者の三木先生がおられ、生後半年の長男と遊んでいただきながら大島までご一緒させていただいたことがありました。
オーサワジャパンに何度も「花井君、いる?」と電話をいただき、「〇〇を送ってくれよ」とご注文いただくことがたびたびありました。
30歳も年上ですが、お茶目な先生でした。
そういえば、何年か前、海の精主催の養老孟司先生の講演会で、
「講義が終わって学生から拍手があるのは三木先生ぐらいだ」
と養老先生がおっしゃっていたのが印象的でした。
