フリースクールMobile school Yabucogi代表の谷平亘さんの物語をお届けしています。前号は、ひとつめの人生の転機、大学卒業後に青年海外協力隊へ、そして教師の道へ進んだお話でした。「決める」「行動する」ことで困難な状況を切り拓いていかれた後編です。
——もうひとつの転機、教師生活で乗り越えた経験を聞かせてください。
教師だけで人生を終わらせていいのかを考え始めたころ、異動になりました。新しい学校では、体育教師として生徒指導や部活をバリバリやっていくことを見込まれましたが、求められる教師像と自分がかけ離れていたのです。自分の指導は生徒にも同僚にも学校の教育観にも合いませんでした。なにを試してもダメで、10年間教師をして育んできた自信やプライドはすべて失いました。
このままでは自分が潰れてしまう。どうにかこの状態を抜け出せないか考え込みました。辞職も考えましたが「今は逃げになる」と感じ、八方塞がりでした。そんなとき、3人目の子どもが産まれ、育休を50日程取得することを選択しました。
——50日での変化は?
その間、子育てをしながら、とにかく読書に没頭しました。共感する教育活動をされている方に会い、自分の考えを話すことで、生き方やキャリアについて大きな影響を受けました。その結果、出した答えは、この地獄と感じる日々をまず生き抜くこと。同時に、2年後に生徒の卒業を見届けたら退職する、という決断もしました。
——その2年間をどうやって乗り越えましたか。
保護者や生徒、先生からの信頼もない状態のなか、ひたすら耐え続けました。なにをいわれても負けない自分を築き上げていったのです。特に響いたのは『嫌われる勇気』で、何度も読んで落とし込み、自分がありたい感情と手放していいものを明らかにしました。
「自分を信じられるのは自分しかいない。だれに認められなくても自分は自分を見放さない」ことを決め、今できることをやる日々を過ごしました。最終的に自分の姿勢が成果となり、生徒も周りも認めてくれるようになり、端から見ていた先生も「よく耐えた」といってくれました。
そして2年経ち、退職届を提出。しかしそのとき、「まだやりたいことをしていない」「教師としてどこまでやれるか試したい」という気持ちが生まれました。どちらの声が大きいか考えた結果退職願を取り下げました。
その後、学年主任として3年間、自分のやりたいように学年運営をおこない、これがとても上手くいきました。この確かな実感から、「正しい」と教わってきたことが必ずしも正解ではないと確信し、自分を表現する人生に変えると決めて退職しました。
——現在のフリースクール設立は決めていましたか。
学校を作ることは以前から決めており、子どもたちにとってどういう場所が必要か、さまざまな場所を見学し、面白い学びを展開している人に会いながら方向性を決めました。自然豊かな京都の大山崎に惹かれ、この場所に決めたのです。子どもたちの考え方などに「セカンドオピニオン」のような視点を提供する活動ができればと考えています。
——夢はありますか。
少しずつでも世界が変わっていくこと、失われた共同体感覚を取り戻すことです。「身近な人さえよければそれでいい」という感覚が広がりつつあります。コミュニティ全体で「全員がうちの子」という感覚になれば、もっとみんな楽に生きられるのではないでしょうか。そして教育のあり方について、もっと堂々と意見を言える立場になって、問題提起していくことです。

Mobile school Yabucogi
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