今号は、広告制作やボディワーク、アーティストなど、さまざまな活動をされている合同会社じぶんらしくの代表・寺嶋康浩さんの物語をお届けします。さまざまな経験が伏線として繋がっていくのを感じるお話です。
——人生の転機はありますか?
ボディワークとの出合いです。当時は広告制作の仕事をしていました。20代半ばころから、背中がガチガチで腕も上がらず、熟睡できず鍼治療に通う日々を過ごしていました。あるときボディワークの施術を受ける機会があり、そのとき不思議な体験をしました。身体に軽く触れているだけなのに、身体の緊張がどんどん緩んでいくのです。そして、幼いころ母に話を聞いてもらえなかったことを思い出し、母に話そうとする度に聞いてもらえない悲しさから、いつの間にか表現することを諦めていたことに気づきました。
気づいたらそれを表現してみたくなり、母へ手紙を書くことにしました。このためにコピーライターになったのではないかと感じながら、「本当はこうしてほしかった」などの当時の心情を感じ直し、ぴったり表現できる言葉を一つひとつ確認しながら、1ヶ月ほどかけて書き上げました。手紙をポストに投函したあと、一週間ぐらいかけて後傾していた骨盤が立ち始め、丸まっていた背筋が伸びてきたのです。腰がものすごく痛かったのですが、姿勢が変化したあとは、身体の症状はすべて消えてしまいました。「心と身体は繋がっている、面白い!」と思い、すぐに学びに行きました。
ボディワークでは、心と身体を一緒に捉えていきます。抑えてきた感情が身体の緊張として表れていて、身体が自発的に緩むことで緊張を生む癖に気づきます。実際の経験として、抑えていた感情を受け入れて表現したことで、姿勢が変わり前向きな気持ちがあふれてきて人生が変わりました。今思うと、当時の猫背のような姿勢は、「人に入って来ないで」と身体が心理状態を表現していたのかも。母は相変わらずこちらの話は聞いていませんが、母を変えようとするのではなく、自身のために表現する必要があったのだと思います。
——すぐにボディワークの道へ進んだのですか?
前職を続けながら、自身のメンテナンスのために学び続けていました。そんなとき、父ががんで入院します。父は抗がん剤でつらそうにしていて、自分にできることは父の身体に触れることしかないと思いました。触れていると、父が安らいだ顔をしてくれます。こんなにシンプルで大切なことなのに、なぜ家族はだれも触れようとしないのだろう。「これは伝えていかないといけない」と思い、独立しました。
——大手企業を退職しての独立。迷いや周囲の反対はなかったですか?
迷いはなかったです。仕事が嫌いなわけではないけれど、もっとやりたいことが見つかって、もう目の前にあったので、周囲の反対も気になりませんでした。
——未経験分野での独立、どうやって始めましたか?
折り畳みベッドを車に積んで、全国を施術して周るのを2年ほどやりました。少しずつ知ってくれる人ができ、それから15年経った今は全国から京都まで来てくれるようになっています。
——すごい発想力ですね!
広告制作の仕事もそうですが、どうすれば魅力を伝えられるかを考えるのが好きです。施術の場所を構えると近くの人しか来られない、ましてやまだ知られていないことを伝えるには効率が悪すぎる、SNSを利用してすでに関心があり求めている人のところへ行くほうが早いと思いました。
≪次号では現在の面白い活動の流れに迫ります≫
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合同会社じぶんらしく
描く喜び、再発見する「らくがきラボ」など、じぶんらしく生きることが価値になる社会を目指して、さまざまな場づくりをしている。https://be-myself.llc

