冬になると、心待ちにしている楽しみがある。ラグビー観戦だ。幼少期、父が早稲田大学のOBだったこともあり、大学ラグビー全盛期のころ、よく一緒にテレビ観戦をしていた。当時、早稲田大学には堀越正巳選手や今泉清選手といったスターが揃っていた。特に、動物的な俊敏さを持ち、小柄ながらグラウンドで圧倒的な存在感を放つ堀越選手に、私は釘付けになった。
年月を経て、日本代表が南アフリカに勝利した「ブライトンの奇跡」を機に、私は再び秩父宮ラグビー場へ足を運ぶようになった。日本のラグビー観戦は手足が氷のように冷え上がるほど過酷だが、それでも現地に行く価値がある。選手同士が生身で激しくぶつかり合う凄みや、一人のスターがいるだけでは機能しないチームスポーツの妙がある。「One for all, All for one」の精神のもと、泥臭く必死に牙を剥く選手の姿は観客の胸に深く刺さる。勝敗が決した瞬間に敵味方の区別がなくなる「ノーサイド」の清々しさは、他の競技にはない格別な魅力だ。
「今ここ」を丁寧に
現在、東芝ブレイブルーパス東京で活躍するリッチー・モウンガ選手が、インタビューで深く頷けることを語っていた。「大きななにかを成し遂げるには、そこだけを見るのではなく、その手前にある細かいことをどれだけ正確に遂行し、積み上げていけるか。ラグビーでいえば、ひとつのキャリー、クリーンアウトを、いかにフォーカスしてやり切れるか。先を見ず、一つひとつやっていくことが大きな成功につながります」。この言葉はラグビーの戦術に留まらず、私たちが日々の生活を心地よく生きるための普遍的なヒントになるのではないだろうか。
臨床の場でも、同じような場面に遭遇する。長く不調に困っていた患者さんの問題が紐解けてくる経過で、新たな症状が現れ、不安を募らせてしまう方がいる。例えば、これまでは悪寒や鼻水といった初期の風邪症状にすら気づけなかった方が、その症状を自覚できるようになったとき、「以前より身体が弱くなった」と自信を失ってしまうようなケースだ。一見、症状が出るのは辛いことだが、漢方的に見れば、「表証」である鼻水や頭痛が現れるのは、身体の感受性が戻ってきた証拠でもある。肺炎のように深部で病態がこじれるよりも表層に症状が出る身体のほうが手当てがしやすく生命力としても健全なのだ。いわば、鈍感になっていた身体が再び対話を始めてくれた状態である。わかりにくかった「本当の困りごと」が、対処しやすい症状として現れてくれる。手当てしやすい身体であることは、生きることを少しでも楽にしてくれる。今この瞬間の変化にフォーカスし、できる手当てを積み重ねる。ここに心身を楽にする鍵がある。
苦悩のなかにいるとき、私たちはつい「以前はあんなに動けたのに」と過去と比較したり、「この苦しみが一生続くのでは」と未来に怯えたりしてしまう。しかし、過去の苦労があったからこそ今の深みがあるという側面も必ず存在する。未来を過度に憂えず、過去にとらわれず、「今ここ」にあることを慈しむ。困難に直面したときほどこの視点は難しくなるが、だからこそ意識的に、日々の動作一つひとつに感謝を込めたい。
お日様に手を合わせる、食事の際に「いただきます」と言う、身だしなみを整え、トイレの蓋を閉める。そんな何気ない仕草のなかに心を込める。特別なことでなくていい。「ありがとう」とお礼を言い、穏やかな笑顔を忘れない。そうした一瞬一瞬の積み重ねが、自分自身の内側を整え、健やかな日々を編み上げていく。心にない言葉は相手に伝わるものだが、逆に真心を込めたしぐさもまた、必ず相手に届くはずだ。一日一日をありがたく受け止め、「今ここ」に意識を向けて丁寧に過ごしていきたいと思う。
