ながれるようにととのえる
身体の内なる声を味方につけて、生きる力をととのえる内科医、鍼灸をおこなう漢方医のお話
やくも診療所 院長・医師
眼科医を経て内科医、鍼灸をおこなう漢方専門医。漢方や鍼灸、生活の工夫や養生で、生来持っている生きる力をととのえ、身体との内なる対話から心地よさを感じられる診療と診療所を都会のオアシスにすることを目指す。
やくも診療所/東京都港区南麻布4-13-7 4階
ゆずれないところを知る
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大学生のとき、オーガニック製品に興味を持ち、アフタヌーンティーでのアルバイト代で最初に購入したのが歯磨き粉であった。その後、日常的に使っていたシャンプーやリンスといった身近な製品の多くが、私の心身が喜ぶものではないことに衝撃を受けた記憶がある。それ以来、可能な範囲で、自分の心身が喜ぶものを選んで使っていきたいと探し求めるようになった。この姿勢が、私が「プレマ」と出合う縁に繋がっているのかもしれない。
「琵琶湖に目薬をさすことくらいしかできないのよ」と、数十年ぶりに会った女性は言った。銀座と京都で宿を経営していた彼女との出会いは、恩師に連れられて参加した『食や生活を通して生きることを考える会』がきっかけである。眼科医から内科医に転向し、無我夢中で働いていた当時は、仕事に追われ、生活を丁寧にする意識が薄れていた。だからこそ、自然素材にこだわった部屋や、信頼できる生産者の食材を使って丁寧に作られた和食は、当時の私に軽いカウンターパンチをくらったような衝撃を与えた。
その女将は、初めて会ったときから、嫌なものは嫌だとはっきり言う、揺るぎない軸を持つ方であると感じた。私のなかのなにかが強く共鳴した記憶は、今もはっきりと残っている。そして何年経っても、当時の軸をしっかり持って生きていることに、深い喜びを感じるのだ。彼女は、オーガニックなものを使い、生産者を知ることを大切にする。石鹸やシャンプー、リンスを使わず、化粧もせず、余計なことは一切せず、自然な暮らしを貫いている。20年近く経って再会しても、肌はつやつやと輝き、知らないことを知りたいという好奇心は尽きることがない。琵琶湖に目薬をさすような地道な取り組みは、私の心を動かし、次へと繋がっていると信じている。
私の母もまた、ぶれない芯を持っている。私が小学生のころ、母はあん摩マッサージ指圧師と鍼灸師の学校に通っていた。果物屋や布団屋、クリーニング屋、弁当屋など、あらゆる仕事をしながら勉強もしていた。一人用のサウナの中で、必死にテスト勉強をし、感染症の変遷を歌で暗記していたのは記憶に鮮明である。多忙な生活で体調を崩すことも多かった母は、今では考えられないほど西洋医学の対症療法に頼っていた。しかし、鍼灸学校時代の元看護師の友人に「大量の薬漬けではいつか大変なことになる」と心配されて以来、別人のように変化した。
この変化には、私自身が幼少期に病弱だったことも影響しているのかもしれないが、母自身の心身への向き合い方は大転換を遂げた。子育てと仕事、学生という二刀流ならぬ三刀流をこなしていたため、想像をはるかに超えるほど疲労困憊であっただろう。毎日をこなすため、自覚症状に対し、とにかく対症的な西洋薬をむさぼり飲んでいたようだ。だが、私が中学生で体調不良に悩まされていた時期から、母は症状をただ抑えるだけの薬はどんなに勧められても飲まなくなった。なるべく自然なものから本質的なセルフケアをするようになったのだ。ここには、母の人としてどう生きたいかというぶれない軸を感じる。このおかげで、症状を抑える対処療法だけでない、漢方薬や民間薬、アーユルヴェーダ、鍼灸はもちろん、あらゆる分野に守備範囲を広げるきっかけをもらったのである。
なにをどう大切に生きるかという価値観は、人それぞれに違う。その人の生きる価値観は、その人自身のものだ。だれにも否定されるものではないし、否定することもできない。だが、自分の身体も心も、健やかに生きるのも、壊してしまうのも、やはり自分自身が目の前のことをどう選択するかにかかっているのだろう。だからこそ、自分の小さな選択に自分の考えをもって生きる、小さな覚悟や自分の軸のようなものを、私たちは大切にすべきであると、つくづく思う。