かつて眼科医だった私は、眼科の医局に入局する際にも漢方を学びたいと思っていた。教授との面接でも、その意思を伝えた記憶がある。私が医者になったころは、いまのスーパーローテーションの初期研修のシステムとは違い、いわゆるストレート研修であった。それは大学卒業後、自分が望む科の医局に入局して研修医になり、そこのプログラムに従って、大学病院と関連病院をローテーションして研修するものだ。当時の研修システムの良かった点は、早い段階から自分の専門分野の研修ができたことだ。しかし、その一方で、専門分野以外は、自分で診療技術を磨かなければならないことを痛切に感じた。
私は自分のこころの声を聴き、内科医の学びをし直そうと思い立った。内科医が眼科医に転科することはあるが、逆に眼科医が内科医に転科することはあまりない。そのため、眼科の教授には理解してもらいにくかった。大学病院のなかで内科を学ぶこともできたのだろうが、甘えられない環境が良いと思い、別のところで学ぶことを決めた。
そして、ある病院で面接を受けた。そこの院長は、私の話を聞いて開口一番、「君はここではなく、漢方を学ぶために富山医科薬科大学に行きなさい」と言った。富山医科薬科大学は行きたい大学だったのだが、受験のとき合格できなかった。「そうか、いまのタイミングが富山に行くチャンスなのかもしれない」と思い、新宿駅で買い物をすませて上機嫌でいた。
すると、突然、「あなたの後ろになにかついていますよ」と声をかけてきた人がいた。私は「あら、大変」と思い、トイレに駆け込んだ。しかし、女子トイレにまでその人がついてきていた。手洗い場で汚れたコートを洗っていると、今度はスカートに同じような液体をかけてきた。スカートも汚れてしまって慌てて気が動転している隙に、足元に置いていたバックと買い物袋をごっそり盗まれたのである。
しかし、こんな最悪な状況のなかでも幸運なことに、大学病院の眼科病棟の看護師さんから、入院患者さんのことで電話でやりとりをしていたおかげで、コートのポケットに携帯電話が入っていた。
泣きそうになりながら警察に行き、被害届けを出した。そのとき、友人や家族が助けに来てくれて、心の底から救われたことは、いまでも覚えている。当時、外国人窃盗団が都内に出没しているニュースは知っていたが、まさか自分が窃盗団の被害に遭うとは思いもしなかった。
その後数年は、新宿駅で電車を降りることが怖かった。新宿駅で降りられるようになっても、バッグを脇に抱えて、小走りするように歩かないと不安になる感じがあった。きっとトラウマになっていたのだろう。そのときの恐怖や怒りなどの感情は、いまもうっすらと残っている。もし被害に遭ったときの私を反省するとしたら、きっと疲れすぎて気が抜けて、隙があるように見えていたのかもしれない。
医療において、トラウマに対する効果的なアプローチは明確にあるわけではないだろう。そのなかで、精神科医の神田橋條治先生がトラウマケアのためにつくった「神田橋処方」という漢方薬の組み合わせがある。神田橋処方がトラウマで困っている方たちの助けになっていると知ったのは、東洋医学を学んで随分と経ったころである。思い出したくない過去の記憶に対して、この処方の組み合わせをどうやって見つけることができたのだろうか。しかし、あるとき、この処方を助けにしながら、トラウマによる苦しみが明らかに減っている患者さんを見てこう思った。
「薬だけでできることは少ない分野だが、なにかしら心が楽になる方法を模索できるかもと思えることは、困っている患者さんにも、寄り添う医療者としても嬉しいことだ」と。