私は主に漢方診療と産業医をしている。漢方診察では、望診(視診、舌診)や聞診(嗅診、聴診)、問診、切診(脈診、腹診などの触診)などを使い、あらゆる面から病状を捉えることで、身体のどこに問題があるのか、また病状がどの段階にあるのかを探ろうとする。
そして、患者さんが診療所の待合室で椅子にどんな風に座って待っているのか、診察室に歩いて入ってくるときの姿がどんな風であるかにも、その人の今の状態が表現されている。「先生、最悪です」と始まったり、話し始めたら咳やしわがれ声だったり、鼻が詰まって特有の臭いがあったりすることからもわかることがある。例えば、患者さんの身体が黄色く見えるとしよう。もし黄疸でないなら、漢方では膵臓や胃の不調が関与していると捉えるのだ。手首に触れて脈を診て、お腹を触ってガスや圧痛、硬さなどを確認する。触れることで、汗のかき方やほてり、冷え、身体の硬さなどがわかる。診察や治療において、患者さんの自覚症状の話を聞くだけでなく、患者さんと身体感覚を共有することでよりわかることが増えるのだ。
産業医は簡単にいうと、企業で働く人達がより働きやすい職場環境になるように、会社に雇用されている医師である。しかし、会社のなかに診療所を持つ産業医以外は、基本的には診療はおこなわない。
あるとき、休職中の方との面談で、「産業医は仕事に就かせるためにいるんじゃないんですか?」と言われたことがある。この言葉には一理あるが、私はなんだかモヤモヤしてしまった。休職中の方が復帰するか否かは、本人が仕事に復帰したい意思があり、加えて主治医の判断と会社側の意見が、どこで折り合いがつくのかが重要になってくる。
産業医が仕事に復帰する意思がない人に無理やり職場復帰させることはできない。逆に復帰の意思はあっても、主治医がまだ復帰は難しいと判断することもある。ただし、主治医は本人の訴えを元に状況を判断するしかないことが多い。例えば、その人がどのような仕事を、どのような状況でおこない休業に至ったのかなどの職場環境や周囲の様子まではなかなかわからない。わからないことがあるのを前提として、本人と主治医、会社の仲間、働く環境のなんとか折り合いがつくところはないかと探ることも産業医の仕事である。
今では産業医の現場でも、オンライン面談が増えた。メンタルヘルスの不調で休職中の方のなかには、会社に出勤できない方もいるのでオンライン面談が良いこともある。以前は会社の最寄りの駅前などで面談をすることもあった。直接会うことが普通で、他愛もない会話や表情、話す様子などのノンバーバルな表現が情報としてたくさん感じられた。しかし、オンライン面談ではそこに難しさを感じている。
最近では、オンライン面談で顔出しをしない方がちらほらと出てきている。「顔を洗っていないので顔出しできない」という方もいた。相手の顔が見えないのに、自分の顔だけは相手が見ている状況に不思議な気分になる。
相手はどんな顔をしているのか、どんな風に話すのかなどのノンバーバルで表現されている雰囲気は、オンラインではわかりにくい。顔出ししないオンライン面談では、さらに身体感覚の共有が圧倒的に少なくなり、お互いの関係を構築していくことの難しさを実感する。やはり身体感覚の共有は、生き物にとってなくてはならないものではないだろか。
農業史研究者の藤原辰史さんの著書『食べるとはどういうことか』に、「身体感覚のない言語のつながりがどうしても信じられなくて」と書かれていた。漢方診察で、患者さんの身体を感じ、実体感からうまれる言葉を交わしているとき、私はなんだかほっとして豊かな気持ちになる。