寒さが強まってきた。冬のピリッと背中が正されるような雰囲気が好きだ。そして、次第に冷たい空気と少し春の気配が混ざり合ってくる。芽を出そうとするふきのとうを見つけると、エネルギーの象徴のようでワクワクする。
ふきのとうは、款冬花という生薬である。ふきのとうには身体を温める性質があり、痰を出し咳を止める作用がある。さらに、咳に使用される生薬には杏仁がある。それは杏の種子(仁)で、硬い殻を割って取り出したものである。種子に苦味がある苦杏仁を薬として使用している。甘味のある甜杏仁は、杏仁豆腐などのお菓子に用いられているが、漢方では乾いた咳やねばって濃い痰を伴う咳のときに、肺を潤しながら痰を出す咳止めや、腸を潤して排便を容易にする効果があるといわれている。漢方では、肺と大腸は関連するとされ、咳止め薬と便秘薬が共通の生薬であることも興味深いところである。また、桑白皮は、桑の根からコルク層を除去した根皮である。これも咳止めやむくみを減らすときに使用される。どれも自然が残る里山などでは身近にあるものだが、これらに咳止めの効能があることを知っている人は減ってきているのかもしれない。残念ながら、都会ではふきのとうや杏の木、桑の木を見ることはほぼない。先人達の植物を活かす知恵に触れると、なんだか心からの感謝を伝えたくなる。
漢方の古典である『素問霊枢』には、秋冬は陰の気が多くなるので、体力を養う時期と記されている。昨年末はインフルエンザA型の感染者数が増加していたようだ。年末年始を休むために、いつも以上に多忙になる。さらに忘年会や新年会などで慌ただしくなるので、消耗しやすくなる。だからこそ、この時期はゆったりと過ごす養生の時間が必要なのだ。
道端に見つける春へ向かう小さな変化は、植物や生物の「今、ここに生きているぞ」という力強いエネルギーを感じずにはいられない。都会のなかにいると難しいが、自然の移ろいに身を任せ、大地とともに素朴に生きることが、これからの私のテーマかもしれないとつくづく感じる。
大切な思いに気づく
捨てられずに取ってあった手紙を片付けていると、思わず手を止めて、読み耽ってしまう。あのタイムスリップしてしまうような感覚が好きだ。昨今はメールで簡単に連絡できてしまう。とても便利だが、手を止めて過去のメールを読み返す作業はなかなかしないし、簡単に削除してしまうこともある。手間や時間をかけて心を届ける手紙には、メールにはないものがある気がしている。
父が亡くなってから、父の机の引き出しの中にメモを見つけた。父が谷川俊太郎さんの『魂のいちばんおいしいところ』という本のなかにある「あわてなさんな」という詩を読み、そのときの思いの言葉を遺していたのだ。メモを見つけたときは、谷川俊太郎さんの言葉だと思っていて、父の文章であるとは思いもしなかった。父はこの詩を味わい、自分の心のなかにある葛藤する思いを詩とともに書き記すことで、心を整理していたのかもしれない。
しばらくして「あわてなさんな」の全文を読んだとき、初めて父が残した言葉や思いに気がついた。「親にできることはわが子をただそっと見守ることしかできない」と、父は模索し葛藤するなかで気づいたことを知ったのだ。親として大きな愛で見守っていてくれたことに、あらためて心から感謝の思いが湧いてくる。ありがとう、父さん。
また、大学時代に休学し、へこたれていた私にエールをくれた友人の手紙を改めて読んでみた。今の自分は、心を向けてくれた人からのエネルギーをもらい生かされていることに気づいた新年の始まりである。