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インタビュー取材しました。

自然なお産で母親を見守り支える 松が丘助産院 院長 宗 祥子 氏 インタビュー

投稿日:

昔ながらの自然なお産で、お母さんと赤ちゃんの新しい生活をサポートしている、松が丘助産院。院長の宗祥子さんは、お産だけでなく、「産後ドゥーラ」の活動や政策提言で出産後のお母さんを支える仕組みづくりにも取り組んでいます。宗さんに、これまでの歩みや次世代に伝えたい思いについて伺いました。

お母さんたちにとって「わが家」のような場所を提供する宗さん(左から2番目)「妊娠中から子育てまで、お母さんたちが安心できる環境をつくりたい」と話す

松が丘助産院
院長
宗 祥子(そう しょうこ)

1952年愛媛県生まれ。公務員を経て、第1子の出産をきっかけに助産師をめざす。36歳で東京医科歯科大学医学部保健衛生学科に入学。在学中に第2子、第3子を出産。1998年に松が丘助産院(東京都中野区)を開院。妊娠中から産後まで一貫したサポート、ケアをおこなう。また、東日本大震災後の「東京里帰りプロジェクト」や「産後ドゥーラ」の活動など、現代のお母さんたちを多方面から支えている。
ドゥーラ協会代表理事/(公社)東京都助産師会会長
▶︎松が丘助産院 https://matsugaoka-birth.com/

 

「どうしても」なら
夢は実現できる

——どんな子ども時代でしたか?

愛媛県で生まれ、父親は物理の先生、母親は音楽の先生という家庭で育ちました。小さいころは母が家にいないのが寂しかったけれど、大きくなるにつれ、自分の人生を生きている母の姿を見て、私もしっかり自立したいと思っていました。でも、大学には行かないと言ったら、父がこんな言葉をくれたんです。「学問は感動の三角形の底辺を形づくるもの。豊かな人生には幅広い教養が必要だよ」と。父の思いを受けて、大学に進学しました。

——大学生活はどうでしたか?

友人や先生方に恵まれて、とても充実してましたね。3年生からは司法試験に向けて1日12時間ぐらい勉強したけど、長くは続けられないと思い、卒業後は公務員になりました。

じつは大学時代に体調を崩した経験があります。夏休みに試食販売員のアルバイトをしたら、立ちっぱなしで体が冷えたせいか、ひどい腰痛と体調不良になってしまって。病院や鍼、マッサージに行っても一向に治らない。医者には「治らなくても、別に死ぬことはありません」と言われて、「治らないのはイヤ」と思っていたら、父が『こんにちわ私のヨガ』という本をくれたんです。「断食がいいって書いてあるよ」と。藁にもすがる思いで、沖先生のヨガ道場に行きました。そこで10日間、食事は菜食で、毎日5キロ走り、自然療法を実践する生活をしたら、それまでの不眠や生理痛などがなくなり、身体がすごく軽くなったんです。そのとき道場で先生がおっしゃった言葉が心に残りました。「だれかに治してもらおうと思っていたら治らない。病気が生活の悪さを教えてくれているんだから、それに従って生きなさい」と。まだ腰痛は残っていましたが、「これで治る」と確信し、その後も生活を続けるうちに次第によくなっていきました。あのときの経験が、今の健康観につながっています。

——助産師になったきっかけを教えてください。

区役所に10年勤めましたが、どうにも合わなくてね(笑)31歳で長女を産んだとき、助産師さんの仕事ぶりに感動したんです。助産師さんの誘導で呼吸したら陣痛が楽になって、「もう、神!」と思いました。母乳育児の相談もできましたし、新生児訪問でおばあちゃんの助産師さんが来てくれたときは安心感があって、「歳を重ねるほど、価値が深まる仕事だ」と感じました。

娘は卵アレルギーでしたが、私が出産前後に卵を食べていたからだと気づき、やめたらきれいに治ったんです。いかに自分の食べているものが母乳と直結し、子どもの健康に影響するかということも実感しました。そういった食事のアドバイスができるのも、助産師さんです。それで子どもが4歳のとき、「4年間で助産師になれるなら、やろう」と決心しました。だれか引き止めてくれないかなと思ったんだけど、みんな「やりたいことやったほうがいいよ」って(笑)役所を辞めて猛勉強し、東京医科歯科大学に入学しました。

——在学中に第二子、第三子を出産されてます。すごいバイタリティですね!

やっぱり、どうしても助産師になりたかったから。第二子は助産院で、第三子は水中出産で産みました。「やりたい助産はこれだ」と実感していたので、努力できたんだと思います。家事や育児は、母や姉たちにも助けてもらいました。

自然なお産は
心と身体を育むプロセス

——松が丘助産院を開業された背景を教えてください。

助産師として研修を終えたころ、姉(宮川明子さん)はすでに鍼灸師として独立し、活動していました。児童心理学などを学んでいた姉と「一緒にお母さんをケアする仕事をしたいね」と話していたこともあり、1998年に助産院を開業する際には、姉が力を貸してくれました。その後、姉は日本でアロマテラピーのパイオニアとして知られる存在となり、私は助産院の運営に専念してきました。

——助産院では食事やヨガなどのクラスを開催しています。自然のお産のための身体づくりで大事なことはなんですか?

まず、早寝早起きをすること。そしてたくさん歩きましょうと伝えています。心と身体で「気持ちいい」と感じると、良いほうへ変えていきやすい。あとは、美味しい、自然のごはんをいただくことですね。私たちのところでは、自然なお産を希望する方が多いけれど、無痛分娩がいいとか、母乳で育てたくないと言う方も少なからずいるんですよ。そんなときも、言葉で言うより、ごはんが語りかけてくれます。「ここのごはんを食べてたら体調がよくなりました」とか「このごはんを食べ続けたい」と、身体でわかるんですね。食べることと健康や生き方はつながっているから。ごはんをとても大事にしています。

——どんなごはんですか?

野菜を中心とした和食です。作る方たちは野菜と心を通わせて、そのおいしさを引き出すように作っています。出汁をきちんと取って、いい調味料を使う。そして食材は、無農薬やオーガニックのものを取り寄せています。最初に伝えることは、乳製品と小麦、甘いものをやめること。意外とみんなやめてくれるんですよ。乳製品をよく摂る方は、授乳のときに痛がることが多いです。うちではフランスの方が出産することもありますが、本国の食文化は、チーズやカフェオレ、バゲットやクロワッサンと、乳製品や小麦が多いですよね。聞いてみたら、やはり授乳は痛いものと連想するそうです。授乳のたびに痛かったらつらいですし、赤ちゃんに美味しい母乳を飲んでもらうためには、食事が大事なんです。「母乳で」というと、追い詰められるように感じる方もいますが、母乳で育つ人は免疫力が高い。生涯にわたって健康でいられるかどうか、それぐらい大事だと思います。

——昔と今で、妊娠・出産を取り巻く環境や女性の身体にどんな変化を感じますか?

がんばれなくなっていることかしら。昔は3日間ぐらい耐えられたけど、今は赤ちゃんの限界がくるか、お母さんの力がなくなるか。体力の差を感じます。それから、私たちの世代はお母さんに抱っこされて、おっぱいをもらって育ってきているけど、今は母乳で育てたくないとか、なるべく赤ちゃんを人に預けていたいという方が増えました。私はよく「100歳まで生きて、今の人たちが子どもを育てられるか見届けたい」と言うんですけど。自然に産んで育てる環境とはほど遠くなっていると感じます。一方で、妊娠を機に生活を変えて、心身の変化を遂げる方もいます。妊娠中は食事や生活のことを考えるのに最適な時期。実際にしっかり整えた方は、いいお産をしていますよ。

——宗さんが考える「自然なお産」とは、どのようなものでしょうか?

本来、お母さんには自然に産む力があります。私たちの役目は、その人を丸ごと受け止めて、大事にして、その生命力を信じて伴走すること。本人がそのプロセスを受け入れていれば、自然に産みます。お母さんが不安なときは、それが正常な流れであれば「うまくいってますよ」と知らせてあげる。そうすると自信を取り戻して、またがんばれます。気持ちの部分は大事ですね。

助産師としての在り方は、開業してからお母さんたちに教えてもらいました。虐待されて育った人がここで出産して、自分を取り戻して生き返ることもあります。自然に産むって、そういう力がある。本来の動物的な感覚とつながり、最も愛すべきわが子を産みだす。自然のお産は、ある意味、アートだなと思います。お母さんと赤ちゃんの命の素晴らしさが体現される場面です。


「ごはんが最高です。酵素玄米か雑穀米で野菜たっぷり!」(出産した弊社スタッフ談)

安心して子育てできる
社会をつくりたい

——産前産後のお母さんを支える「ドゥーラ」の活動を始めたきっかけを教えてください。

日本にもこんな仕組みが欲しいと思っていたときに、アメリカのドゥーラについて知りました。日本では従来、お母さんたちが利用できる産後のサービスは、ベビーシッターと家事支援に分かれていました。でもどちらも、現場のニーズに完全には応えられないのです。たとえば、どちらのサポートも約1週間前に予約が必要ですが、その日になると、赤ちゃんがギャン泣きで休めていない。でもその人は赤ちゃんの世話はできない。一方、ベビーシッターを頼んだら、当日は赤ちゃんがぐっすり寝ていて必要なかった。でも他のことは頼めない……実際にはお母さんの状況に合わせて臨機応変に支援できる仕組みでないと意味がないと感じていたんです。

昔は家族がそれを担っていました。でも今は核家族化が進み、父親も完璧にサポートできるとは限らない。実母との関係に悩む人もいます。やむなく孤立して子育てをするお母さんがとても多いのです。

そんなとき、アメリカ・ミシガン州で日本の助産師について講演する機会があり、そこで日本人の出産ドゥーラに出会いました。その方はお産のサポートをし、退院後はそのまま家庭について行き、赤ちゃんの世話からごはん作り、お母さんのケアまでしていたんです。「まさにこれだ!」と思いました。日本では、産前と出産時のサポートは助産師が担っていますが、産後のサポートにニーズがあります。そこで、2012年に「ドゥーラ協会」を立ち上げ、産後ドゥーラの養成と普及を始めました。今は行政からの要請がたくさんあって、養成が追いつかない状況です。やっぱり、お母さんたちがとても助かるんですよね。行政の助成範囲で足りない場合は、プライベートでも依頼があります。だから、困っているお母さんたちは、自治体に要望してほしいですね。

——震災後の「東京里帰りプロジェクト」など、思ったことをすぐ実現されるのが素晴らしいです。

本当に世の中に必要なことは、力を貸してくれる人が集まって実現するんです。自分の力というより、なにかに後押ししてもらっている感覚です。会計に強い人が必要だなと思ったら、自然とそういう方が現れたり。必要なことを言葉にすると、不思議と同じ思いの人が助けてくれるの。

——政策提言などもされていますが、「日本の子育て環境の脆弱さ」を感じるのはどんなときですか?

やっぱり「産み方」ですね。その人が本来持っている、産む力を引き出すお産の場が少ないと感じます。今の傾向は、計画分娩が増え、子どもはミルク、夜は一人で寝かせるために泣いても放っておくことも。でも、出産や子育ては、自分の思い通りにならないことを学ぶ場。一人ですべてを抱えこまないで、人に頼り、社会の仕組みを知ることで気づくことがあるはずです。身近なところでは、ごはんを作ること。農業のことや食の規制、教育など、世の中のさまざまなことが見えてきます。国に頼るだけでは難しい。せめて助産師に性教育をさせてほしいと訴えていますが、なかなか進みません。お母さんたち自身の気づきが、社会を変えるきっかけになるといいなと思います。

——今後実現したいことは?

私はもう年齢的に、後に続く助産師を育てたいという思いが大きいです。若い助産師や学生たちに、もっと自然のお産を見てもらうために、受け入れ体制を整えたいです。今、病院で働いている新人助産師のなかには、やりがいを感じられない人もいるんですよ。機械的に分娩をこなして、ミルクをあげて、母子は離しておくという。そんな現場に疑問を抱く彼女たちにこそ、自然なお産の素晴らしさを伝えたい。なにか新しいことをするより、「自然なお産って、いいものよ」という想いを、これからも伝え続けていきたいです。

松が丘助産院

松が丘助産院では、妊娠中から産後までのクラス・相談・ケアをおこなっています。産後ケア入院も受け入れています。

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自然なお産で母親を見守り支える 松が丘助産院 院長 宗 祥子 氏 インタビュー

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