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インタビュー取材しました。

発酵食品の原点を大切に伝えていく 國松本店 代表取締役 國松 勝子 氏 インタビュー

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明治17年に愛知県豊橋市で創業した國松本店。1300年以上前から地域に伝わる発酵食品「濱納豆」を昔ながらの製法で作り続けています。発酵の力によって、小さな一粒に奥深い味わいがぎゅっと凝縮。さらに身体にもいいと評判です。50年以上、濱納豆と共に生きてきた社長の國松勝子さんに、その魅力を伺いました。

驚くほどエネルギッシュな國松社長(右)。その秘訣を「濱納豆などの伝統的な発酵食品を常食しているからではないか」と話す、長女の千純さん(左)と次女の貴子さん(中央)

國松本店
代表取締役
國松 勝子(くにまつ まさこ)

愛知県生まれ。生家は醸造関係の問屋で、幼少期から日本の伝統的な発酵食品に親しむ。結婚後、夫とともに國松本店の濱納豆を受け継ぐことに尽力する。夫亡き後、社長に就任。娘2人に世代交代しながら、オンラインやイベントを通じて濱納豆の食べ方の提案や、発酵食品の魅力などを発信し、国内外でファンを増やしている。
▶︎國松本店 https://www.hama710.jp/

 

控えめながら秀逸
濱納豆に心惹かれて

——濱納豆とはどんな食品ですか?

約1300年前、聖徳太子の時代に中国から経典とともに持ってこられた「豆豉」が原点です。初めは奈良の各寺院に伝わり、そこから遷都後の京都や全国へと広まりました。寺の納所(台所)で作られていたことから納豆と呼ばれ、栄養食、保存食として僧侶たちに食されていました。戦国時代になると、お寺を本陣にしていた武将たちにも戦時の携帯食として利用されるようになり、特に徳川家康は愛食していたようです。三河の吉田城の近くに、家康とゆかりの深い悟真寺があります。そこに伝わる納豆の製法や味をそのまま引き継いだのが、國松本店の濱納豆なんです。納豆とはいえ、いわゆる糸を引く納豆とはまったくの別もの。中国の豆豉は黒大豆が原料ですが、濱納豆は白大豆を粒のまま味噌にして、半生乾きにした食品です。当時、庶民だけでなく、元和には後水尾天皇にも献上されるほど珍重されていました。そんな歴史を経て、当店は明治17年に創業しました。明治以降、日本の発酵食品は西洋文化の影響を受けながら、逆に海外からも注目されるようになりました。濱納豆も、1900年ごろにフランスやアメリカのセントルイスで開かれた万国博覧会の醸造部門で受賞しています。

私は豊橋の出身で、幼少期からいつも食卓に濱納豆がありました。寺が檀家への盆や暮れの挨拶に配るのが地域での慣わしでした。このあたりでは大半の家庭にあったのではないでしょうか。調味料やごはんの供として使われていました。全国でも愛知県には八丁味噌やたまり醤油、みりん、酢など、多彩な発酵食品が揃います。濱納豆は、日本の調味料の発端となった、日本人の味覚の原点なのではないかと考えています。

じつは私の実家は醸造原料の問屋で、生まれたときから醸造文化が身近にありました。ただ、両親が経営者として休みなく働くのを見ていたので、私自身はサラリーマンと結婚したいと思っていたんです。結婚した当初、夫は國松本店の家に生まれながら、技術者として外で働いていました。あるとき脱サラをすると言って、機械製造の会社を起業。同時に家業も継ぐことになり、私は両方の経営を手伝うことになりました。そんななかで、だんだんと濱納豆に惹かれていったんです。

——どんなところに惹かれたのでしょう?

濱納豆をご覧になるとわかるように、見た目は地味で、手に取りたくなるような華やかさはありません。でも、あらためて目を向けてみると、この小さな粒はすごい優れものだなと。発酵食品としての健康効果もさることながら、食材の旨みを引き出したり、味のバランスを取ったり、角を取ってまろやかにしたり。脇役ながら、キラッと光る存在感があり、芯のしっかりとした人格のようなものを持っているんです。

高度経済成長期には、他の日本文化の例にもれず、西洋文化に押されて濱納豆もひっそりと陰を潜めてしまっていた時期がありました。世の中が変化して、浮き沈みの激しいなかでも、変わらずあり続ける商品。濱納豆に対する、そんな尊敬のような気持ちが私の生きる指針となり、これを日本からなくしてはいけない、しっかり後世に伝えていこうと、使命感をもって取り組んできました。現在は娘2人と一緒に、いろいろな形で濱納豆の魅力を伝えています。

 

赤ちゃんを育てるように
麹菌と向き合う

——どんな所で作っていますか。

濱納豆の醸造場は、一級河川の豊川と、東海道や京街道を前身とする国道1号が交差する場所にあります。かつては宿場町をつなぐ要所で、地の利が良い所です。昔は大きな荷物の運搬を担うのは船で、豊川から三河湾、伊勢湾を経て大阪や京都との往来がありました。また、伊勢参りに行く船の起点でもありました。そのなかで徳川家の後ろ盾があり、文化が非常に発達していった。当時、味噌や酒の醸造蔵はわりと裕福で、界隈には文化を楽しむ趣味人がいました。茶事で出される懐石料理に濱納豆を使っていたことから、それを一般にも広めようと商品化したようです。戦争で一度はすべて消滅しましたが、今も当時と同じ場所で作り続けています。

——どのように作っているのですか?

「美味しくなぁれ」と愛情をこめて作っています。私たちが求める、これぞという麹菌をつけるには、新生児を育てるような心がけが必要です。最初に、大豆を水に浸けて丸一日置き、蒸篭で蒸します。蒸した大豆に麹菌を混ぜた香煎(はったい粉)をまぶして「ろじ」という杉箱に入れ、麹室(むろ)で4、5日かけて菌を培養していきます。そこで温度や湿度などの条件を揃えてあげないと、うまい具合に発酵してくれません。麹室には、独自の菌が住み着いて浮遊しています。でも空気中には他にも何千という菌がいますから、ちょっとでも気を緩めると一気に悪玉の菌が混ざってしまう。そうならないように、求める菌だけをこよなく育てていくんです。具体的には、ろじの環境が均一になるように、天地返しといって、手前や奥などと場所を入れ替えます。その作業に2、3時間。そして4、5時間経つと発酵が進んでくるので、温度が高くなり過ぎないように、ろじの中に手を入れて攪拌し、温度を調節します。それを3、4日間繰り返すうちにだんだん麹菌が培養されてくる。まさに、お母さんが新生児に昼も夜もなく乳を与えるのと同じなんです。目に見えて「よくできた」というときは、麹の一面が輝くようなやまぶき色になります。この作業は、季節によってまったく変わってきますから、自然と呼吸を合わせて、最適な発酵の環境を整える必要があります。子育てと同じで、私たちは条件だけは与えられますが、発酵するのはあくまでも本人。できるのは、お手伝いだけなんです。「ああしなさい、こうしなさい」と言わずに、ごく控えめに、「待つ」「聴く」の精神でいること。そんな発酵を追求していくのが、大変でもあり、やりがいのあるところですね。

千純さん 特に暖かくなってくると温度管理がとても大変です。数字の上では温度と湿度が同じでも、濱納豆は暴れることがあるので、そこで落ち着かせる作業があったり。近年は温暖化による影響が大きいと感じています。

エアコンで温度調整をすると、やはり味わいが微妙に変わってきます。麹を培養した後は塩水に漬けて熟成発酵させますが、合理的な生産ではこの旨みが出てくれません。

——自然との協同作業なのですね。

最後に乾かすときも天日で干します。大豆を発酵させるとタンパク質がアミノ酸に分解され、そこに天日のエネルギーによって甘味、塩味、酸味、苦味、旨味の五味に、さらに渋味のような味が加わる。何層にも重なる味わいがこの一粒にぎゅっと詰まっています。濱納豆はどの食品カテゴリーにも分類できないので、大まかに一般の納豆に入れられています。以前、遠赤外線で乾かすことを提案されてやってみたのですが、まったく味気のないものができました。やはり濱納豆の味は、自然とうまく調和してこそ生まれるものなのでしょう。

発酵食品を研究する大学の先生は、「今の時代にこんな旨みが出る発酵食品は珍しい。工業的に作ったらできないだろう」と仰いました。日本でこれほど力量があり、日本人の体質に合う食品は貴重です。でも時代に押し流されてしまったらそれまで。私は嫁に来てから50数年、絶対に日本からなくしてはならないと思い、大切に守り続けてきました。濱納豆は、そんなふうに私の背中を押し続けてくれているのです。

ろじの中で麹の発酵が終わったところ

小さな一粒の大きな可能性
「発酵」で世界とつながる

——発酵食品として健康面でもいろんないいことがありそうです。

今、大学などでも発酵に関する研究が進んでいますよね。椙山女学園大学で食品科学を研究していた江崎秀雄先生が、濱納豆の抗酸化力が普通の麹の6・6倍あるという論文を発表されました。それに関して、名城大学で応用微生物学を教える加藤先生が「これは優れた食品で、言い出したらキリがないぐらい身体に良いんだよ」と後ろ盾してくださいました。

健康面に関しては、私たちが発信する以上に、お客さまの体験談が続々と届きます。ただエビデンスを取るには規模的にも厳しいですし、実際どんな影響があるのかと、社内で実験をしてみたんです。

千純さん 私も含めた社員5、6人で、一日10〜20粒の濱納豆を10日間食べました。発酵食品なので予想通りかと思いますが、やはり最初にくるのは毎日のスッキリです。私の場合は手応えがあったので、さらに4ヶ月続けることにしました。食生活にも気をつけていたら、体重が減り、かなり体調が良くなったんです。体質や健康状態は人それぞれなので、体感もさまざまのようですが、個人的な印象としては、良質な発酵食品を食べ続けると、その方に合わせて体調が整うように思います。

——それはぜひ食べてみたいです。どんな食べ方がおすすめですか?

社内でいろいろ試したり、料理家の方が考案してくださったりしたアイデアをホームページや動画などでご紹介しています。和食や中華はもちろん、フランス料理やスパイス料理にも合うので、バリエーションを楽しめます。外国の方へは畑のチーズ、大地のアンチョビという言い方をするとわかりやすいようです。昨年、ドイツの大使館を訪問したときに、食事の席で出したら、ワインや料理とも相性が良かったようで、「國松さん、もっと持ってないの」と言われたんです。説明なしでこんなに気に入っていただけることに驚きました。味覚の感性がぴたっと合えば、濱納豆は国境を越えていける。それが発酵のすごさなのだと思います。

貴子さん 初めて召し上がる方は、まずは卵かけごはんやお茶漬けなど、簡単な食べ方がおすすめです。半熟卵にのせると味がよくわかります。私は、ハンバーグに混ぜるとぐっと旨みが増すので気に入っています。ご家族も、いきなりは抵抗があっても、料理に隠して混ぜたら問題なし。知らないうちに美味しいものを食べられて、身体にもいいのでみんな幸せです(笑)

千純さん 濱納豆が入っているものと入っていないものでいろいろ食べ比べするのも楽しいですし、醤油代わりに刺身に添えたり、肉や魚はもちろん、チーズケーキなどのスイーツにも合うんです。お好みの食べ方を見つけていただけたら嬉しいです。

——可能性が無限にありそうですね。今後の展望を教えてください。

千純さん 濱納豆の魅力をもっと発信していきたいです。昔の戦国武将や飛脚があんなに逞しかったことを思うと、植物性たんぱく質の力、特に大豆が発酵したときのすごいパワーを感じずにはいられません。伝統の食品にあらためて目を向けて、健康に活かしていただきたいと思っています。

以前、料理教室をしたときに、先生が「味の引き出しが多くて、まるで豆の爆発のようだ」と仰っていました。濱納豆自体が個性の強い味ですが、他の料理の個性をより引き立ててくれます。これまで日本の真髄として大切に守ってきたものが、今は海外からもオーダーが入っている状況です。今後は和食だけでなく、もっと世界のいろいろな料理とのマッチングを楽しんでいただけるように、可能性を広げていけたらと思っています。

独特の味にリピーターが多い

味噌や醤油の原点ともいわれ、1300年前から愛知県豊橋で受け継がれてきました。そのまま食べても、料理に合わせてもよし。口に広がるコク深い旨みと豊かな味わいの虜になります。

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発酵食品の原点を大切に伝えていく 國松本店 代表取締役 國松 勝子 氏 インタビュー

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